小峰城跡(読み)こみねじようあと

日本歴史地名大系 「小峰城跡」の解説

小峰城跡
こみねじようあと

[現在地名]白河市郭内

白河市街地の北方、鎮護神ちんごじ山とよばれる標高約三七〇メートルの独立丘陵西端部に位置する。この丘陵は長さ約四五〇メートル・幅約八〇メートルの東西に長い丘陵で、周辺の低地との比高は二五―三〇メートルあり、北側約二五〇メートルには東流する阿武隈川が迫る。白河城ともよばれる。中世は結城白川氏、近世以降は蒲生氏・上杉氏の支配を経て白河藩主各氏の居城となった。

〔中世〕

結城白川氏の拠点として、南北朝時代初期結城宗広の長子親朝によって築かれたとされ、親朝は小峰氏を名乗ったという(「白河風土記」など)。親朝の長子顕朝は本家結城白川氏を継ぎ、次子朝常は小峰氏を継いだ(「結城系図」続群書類従)。両家は提携して勢力を拡大したが、永正七年(一五一〇)両家は対立し、永正の変を引起した。同年二月小峰朝脩と結城政朝が嫡子相続をめぐって不和となり、朝脩は自害した。九月小峰氏は岩城氏の来援を得て政朝を攻め、政朝は敗れて下野国那須に落ちたという(「異本塔寺長帳」など)。これにより同年間には当城が搦目からめ(白川城)に代わって結城白川氏の本城となったと推定されている。結城白川氏は永正の変に続き同じく内紛の天正の変を引起して勢威が衰え、佐竹氏に次いで蘆名氏、天正一七年(一五八九)には伊達氏の麾下に入った。

〔近世〕

天正一八年当城主結城義親は豊臣秀吉の陣への不参を責められて所領を没収され、蒲生氏領となった当城は配下の関一政が城代となった。慶長三年(一五九八)上杉景勝の支配下となったが、同六年再び蒲生氏の支配となり、当城には城代として町野吉氏が入り約四万石を支配、城郭城下の若干の整備を行ったという。

寛永四年(一六二七)棚倉たなぐら(現棚倉町)から丹羽長重が当城に入り一〇万七〇〇石余を領し、白河藩が立藩した。藩領は白河郡・石川郡と田村・岩瀬両郡の一部であった。長重が白河に封ぜられたのは会津加藤氏とともに奥州の雄藩伊達家に備え、奥州の押えの役を果すためと伝える。長重は入封すると直ちに城の北西を流れていた阿武隈川の流れを北側に移して侍屋敷を拡張し、旧河道を外堀とした。古御奉書写全(丹羽家文書)によれば、長重は幕府に小峰城の修築・築城の図面を提出し、寛永五年八月に許可された。長重年譜(同文書)によれば、同一〇年にはほぼ完成し、近世的城郭が築かれたという。丘陵が最も高い北側の小峰ヶ丘を本丸とし、北から西に帯曲輪、東に竹の丸を築き、梯郭式に二の丸・三の丸を南側に配置した。


小峰城跡
こみねじようあと

[現在地名]佐世保市長畑町

小峰山(城山、五〇メートル)に築かれた中世の城跡。文明七年(一四七五)宮村通定が築城したという。永正年間(一五〇四―二一)頃、家臣の謀反により通定は追われて宮村家は断絶し、その後は大村純次が城主となるが、その子の純種が後藤貴明と結んで大村純忠に背いたため、永禄一二年(一五六九)純忠の攻撃を受けたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「小峰城跡」の解説

こみねじょうあと【小峰城跡】


福島県白河市郭内にある城跡。東北では珍しい石垣造りを基本とした近世城郭で、白河城ともいい、盛岡城、若松城とともに東北三名城の一つとされる。白河市街地の北端、阿武隈(あぶくま)川右岸の比高約20mの東西に細長い小峰ヶ岡と呼ばれる丘陵とその南側の平地部分に立地する。小峰城は、興国・正平年間(1340~70年)、結城親朝(ゆうきちかとも)が築城したのが始まりで、永正年間(1504~21年)に白河結城氏の本城となったと推定される。1590年(天正18)、豊臣秀吉の奥州仕置きによって白河結城氏が領地を没収されると、白河は会津領の一部となり、城には蒲生(がもう)氏、上杉氏の城代が置かれた。蒲生秀行の時代には城下の整備もなされ、慶長年間(1596~1615年)の絵図には梯郭(ていかく)式平山城の姿が描かれている。1627年(寛永4)、丹羽長重(にわながしげ)が陸奥棚倉から10万石余で入封して白河藩が成立。長重は幕命を受けて翌々年から城の大改修に着手、4年の歳月をかけて阿武隈川の流れを北側に変え、屋敷地を確保するとともに、石垣を多用した城に改修した。以後、小峰城は、白河藩主居城として、東北の関門としての軍事的役割を果たした。藩主は次々と替わったが、天明飢饉の際の藩政が評価され、後に老中首座となった松平定信(さだのぶ)は有名である。幕末、白河の地は戊辰(ぼしん)戦争の激戦地となり、城は焼失落城した。城郭は、丘陵の最高部の北側に本丸、北から西に帯曲輪、東に竹の丸を置き、本丸から東、南に向けて二の丸、三の丸を設けている。本丸と二の丸は総石垣で堀が配され、三の丸は土塁と堀をめぐらせ、門の周辺は石垣で固めている。この外側に外郭を設け、北を流れる阿武隈川は天然の堀とし、さらに本丸に続く東の細長い丘陵部は北側の要害として石垣造りである。往時の建物を伝える絵図として、城郭全体を描いた『奥州白河城絵図』などが残っている。2010年(平成22)に国の史跡に指定された。JR東北本線白河駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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