日本歴史地名大系 「小川島」の解説
小川島
おがわしま
呼子港より約六キロ北方の玄界灘の離島。周囲約四キロ、面積〇・九二平方キロ。石英玄武岩で形成されている。島の最高峰
「松浦拾風土記」に「往古は無人島にして島中池あり、竹林の中に大牛住みて人を寄せざる由、其牛死して後池も埋み追々人住み島となり」とあるが、貝塚や縄文晩期の石鏃・石錘などが発見され、貝塚遺跡からは抜歯の人骨も出土し、古くから人が居住していたことが確かめられる。唐津藩政期は
玄界灘の孤島小川島が世に知られるようになったのは、一六世紀末以降捕鯨の基地になってからである。小川嶋捕鯨大意書に「小川嶋における捕鯨業タル遠ク文禄年間、唐津藩主寺沢志摩守の創始ニシテ、当時突取捕獲ノ漁法ナリシガ、降テ宝暦十三年ニ網取捕獲ニ変更ス」と記しているが、「松浦拾風土記」に「寺沢公唐津城御受取の頃鯨組思召玉へども漁師なき故、紀州熊野浦へ漁夫雇に遣されし御状呼子浦へ所持の者あり、其後、兵庫頭、加賀守に成りて、其業を成す者諸方より来り、別て大村領松島組の大祖助次郎と云者、指南す」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報