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蘆名盛氏 あしなもりうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蘆名盛氏
あしなもりうじ

[生]大永1(1521)
[没]天正8(1580).6.17. 会津
戦国大名。会津黒川城 (のちの若松城) 主。三浦義明の子佐原十郎左衛門尉義連を祖とする。盛舜の子。天文8 (1539) 年従五位下修理大夫。蘆名氏中興の祖として,内は会津の諸族を下し,外は東方の田村氏,常陸の佐竹義重らと戦い,上杉謙信,武田信玄,北条氏康らと親交を結び,蘆名氏全盛時代を築いた。また白川義親,相馬義胤,二階堂盛義二本松義継,田村清顕らをも麾下とした。のち子の盛興に家督を譲り岩崎の新城に居住し止々斎と号した。天正7 (79) 年に盛興が没すると再び黒川に帰った。

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デジタル大辞泉の解説

あしな‐もりうじ〔‐もりうぢ〕【蘆名盛氏】

[1521~1580]戦国時代の武将。会津黒川城主。号、止々斎(ししさい)。近隣に勢力を拡大し、蘆名氏の全盛期を築いた。

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百科事典マイペディアの解説

蘆名盛氏【あしなもりうじ】

戦国期の武将で,会津黒川城主。初名盛治。入道して止々斎(ししさい)を名乗る。すでに南会津を除く会津地方を掌握していた蘆名氏は,盛氏の代に南会津および仙道(せんどう)(現福島県中通り)に勢力を拡大,蘆名氏の全盛期を築いた。
→関連項目蘆名氏

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蘆名盛氏 あしな-もりうじ

1521-1580 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)元年生まれ。蘆名盛舜(もりきよ)の子。天文(てんぶん)22年父の跡をつぎ,陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)黒川城主となる。南会津を服属させ,さらに安積(あさか)・安達郡なども手中にし,蘆名氏の全盛期をきずいた。天正(てんしょう)8年6月17日死去。60歳。初名は盛治。通称は平四(三)郎。号は止々斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蘆名盛氏

没年:天正8.6.17(1580.7.28)
生年:大永1(1521)
戦国時代の武将。蘆名氏は平姓三浦氏系統の一族で,南北朝期には会津に勢力をめぐらし,盛氏の代に全盛期をむかえた。盛舜の子として会津に生まれる。幼名四郎丸,通称平四郎。天文19(1550)年田村隆顕と戦うなど安積郡への支配を強め,安達郡,岩瀬郡方面にも進出。また,北進化する佐竹氏に対抗するために白川小峯氏と,さらに元亀2(1571)年には北条氏とも同盟して佐竹氏と連年交戦。天正6(1578)年ごろまでには田村郡は守山まで,石川郡はほぼ全域を掌握した。越後方面では永禄7(1564)年武田信玄と連携して菅名庄に侵入し,天正6年の上杉御館の乱にも上杉景虎に味方して出兵。室町幕府は「大名在国衆」のひとりとして蘆名氏を扱っている(永禄6年の『諸役人付』)。一度隠退して会津黒川城から大沼郡岩ケ崎城に移り止々斎と号したが,その子盛興の死に伴い再び政務をみた。天正5年ごろから佐竹氏と協調して大連合し,伊達,田村勢力と対抗する構図を形成。領国政策では徳政令の発布や流通統制によって領内支配を強化した。墓は会津若松市宗英寺。

(伊藤清郎)

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世界大百科事典 第2版の解説

あしなもりうじ【蘆名盛氏】

1521‐80(大永1‐天正8)
戦国期の武将。会津黒川城主。幼名四郎丸。通称平四郎また平三郎とも伝える。初名盛治。入道して止々斎(ししさい)と称した。父は蘆名盛舜(もりきよ)。南会津および仙道(福島県中通り)に勢力を拡大し,蘆名の全盛時代をきずいた。1563年(永禄6)の室町幕府の記録には後北条,織田とともに〈大名在国衆〉50余人のなかに列している。法名瑞雲院竹巌宗関大庵主。墓所は会津若松市宗英寺。蘆名氏【小林 清治】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蘆名盛氏
あしなもりうじ
(1521―1580)

戦国時代の武将。陸奥(むつ)会津黒川城主。盛舜(もりきよ)の子。幼名四郎丸、通称平四郎(平三郎)。初名盛治(もりはる)。修理大夫(すりのだいぶ)。父盛舜が南会津を除く会津地方を制圧した後を受け、南会津、安積(あさか)、岩瀬(いわせ)、田村、白河(しらかわ)を手中に収め、越後(えちご)(新潟県)にも侵攻を図るなど蘆名氏の全盛期を築いた。1568年(永禄11)ごろ息盛興(もりおき)に黒川城を譲って隠退、止々斎(ししさい)と号したが、以後も盛興を助けて政務をみ、1574年(天正2)盛興死後は二階堂盛隆(にかいどうもりたか)を盛興後室の婿とし、自らも黒川城に戻って政務をとった。天正(てんしょう)8年60歳で黒川城に死去。法名瑞雲院竹巌宗関大庵主。[新田英治]

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