戦国時代の武将。陸奥(むつ)会津黒川城主。盛舜(もりきよ)の子。幼名四郎丸、通称平四郎(平三郎)。初名盛治(もりはる)。修理大夫(すりのだいぶ)。父盛舜が南会津を除く会津地方を制圧した後を受け、南会津、安積(あさか)、岩瀬(いわせ)、田村、白河(しらかわ)を手中に収め、越後(えちご)(新潟県)にも侵攻を図るなど蘆名氏の全盛期を築いた。1568年(永禄11)ごろ息盛興(もりおき)に黒川城を譲って隠退、止々斎(ししさい)と号したが、以後も盛興を助けて政務をみ、1574年(天正2)盛興死後は二階堂盛隆(にかいどうもりたか)を盛興後室の婿とし、自らも黒川城に戻って政務をとった。天正(てんしょう)8年60歳で黒川城に死去。法名瑞雲院竹巌宗関大庵主。
[新田英治]
戦国期の武将。会津黒川城主。幼名四郎丸。通称平四郎また平三郎とも伝える。初名盛治。入道して止々斎(ししさい)と称した。父は蘆名盛舜(もりきよ)。南会津および仙道(福島県中通り)に勢力を拡大し,蘆名の全盛時代をきずいた。1563年(永禄6)の室町幕府の記録には後北条,織田とともに〈大名在国衆〉50余人のなかに列している。法名瑞雲院竹巌宗関大庵主。墓所は会津若松市宗英寺。
→蘆名氏
執筆者:小林 清治
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