小菅丹治(読み)コスゲ タンジ

20世紀日本人名事典 「小菅丹治」の解説

小菅 丹治(2代目)
コスゲ タンジ

大正・昭和期の実業家 伊勢丹社長。



生年
明治15(1882)年4月27日

没年
昭和36(1961)年9月16日

出生地
神奈川県足柄上郡山北町

旧姓(旧名)
高橋 儀平

経歴
呉服店小僧から小田原の内野呉服店一番番頭になった。26歳の時、伊勢丹の創業者小菅丹治に認められ、その長女ときの婿養子となった。大正5年2代目を襲名、代表社員。昭和5年株式会社に改組、社長に就任。6年夏、新宿“ほていや”百貨店の隣地の入札に勝って取得、本格的百貨店とした。10年“ほていや”を買収、伊勢丹を新宿屈指の百貨店に育て、若い世代に重点をおく販売戦略で高収益百貨店経営を実現した。35年会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小菅丹治」の意味・わかりやすい解説

小菅丹治
こすげたんじ
(1882―1961)

実業家。神奈川県の高橋家に生まれる。前名儀平。小田原の呉服店にいるとき、東京で五大呉服店に入る伊勢丹(いせたん)の支配人に認められ、1908年(明治41)創業者小菅丹治の長女ときの婿養子となる。16年(大正5)2代を襲名。24年呉服店を百貨店形態に改め、30年(昭和5)株式会社に改組して社長に就任。本格的百貨店を実現すべく33年神田から新宿へ移転し、35年ほてい屋を買収、有力百貨店に伍(ご)するようになった。第二次世界大戦後は、新宿第一主義をとって堅実経営に徹する一方、若い顧客向けの販売戦略を展開して、高賃金、高能率経営による高収益百貨店に育てた。60年(昭和35)会長に就任。

[前田和利]

『土屋喬雄著『二代小菅丹治』上下(1969、72・伊勢丹)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小菅丹治」の意味・わかりやすい解説

小菅丹治(2代目)
こすげたんじ[にだいめ]

[生]1882.4.27. 神奈川
[没]1961.9.16. 東京
実業家。本名高橋儀平。1代目小菅丹治の婿養子。農家の3男に生れ,小学校卒業後小田原の呉服店に奉公してのち番頭となり,認められて伊勢丹呉服店創業者丹治の養子となる。 1916年1代目丹治の死去により2代目丹治を継ぐ。 30年株式会社に改組して伊勢丹改称,31年店を新宿に移転し,本格的な近代デパートに改組して成功した。その経営方針は労使協力による高賃金・高能率,若い世代を中心とした販売戦略,自己資本重視の堅実経営に徹して,高収益の百貨店を実現した。

小菅丹治(1代目)
こすげたんじ[いちだいめ]

[生]安政6(1859).神奈川
[没]1916.2.25. 東京
明治・大正期の実業家。農家の次男に生れ,少年時代に呉服店に奉公したのち,1881年東京神田の米穀商小菅又右衛門の養子となる。 86年神田に伊勢丹呉服店を創業,一業専念と創意工夫を理念として経営を行い,人格的にも尊敬され,同店は東京五大呉服店の1つに数えられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小菅丹治」の解説

小菅丹治(2代) こすげ-たんじ

1882-1961 大正-昭和時代の実業家。
明治15年4月27日生まれ。小田原の内野呉服店で番頭としてみとめられ,伊勢丹創業者の小菅丹治の婿養子となる。大正5年2代丹治を襲名。13年伊勢丹を呉服店から百貨店にし,昭和8年新宿店を設立。堅実経営とともに,若い世代向けの販売を展開し高収益百貨店にそだてた。昭和36年9月16日死去。79歳。神奈川県出身。旧姓は高橋。本名は儀平。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小菅丹治」の解説

小菅 丹治 (こすげ たんじ)

生年月日:1882年4月27日
大正時代;昭和時代の実業家
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android