日本歴史地名大系 「小野城跡」の解説
小野城跡
おのじようあと
小野町の
「吾妻鏡」元久元年(一二〇四)五月六日条に同年四月に起こった三日平氏の乱を平定した京都守護平賀朝雅は、乱の張本が伊勢平氏の一流若菜五郎(盛高)で、その城郭が「伊勢国日永・若松・南村・高角・関・小野等」にあったこと、若菜五郎は関小野において敗死したことを報告している。ここにいう小野は北野とも伝え(吉川本「吾妻鏡」同日条)、この地方に若菜氏一党が構えた城塞は小野村字殿内および大堀と、
小野城跡
おのじようあと
小野城跡
おのじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報