尾上松助(読み)オノエマツスケ

デジタル大辞泉 「尾上松助」の意味・読み・例文・類語

おのえ‐まつすけ〔をのへ‐〕【尾上松助】

歌舞伎俳優。屋号、音羽屋
(初世)[1744~1815]大坂の人。初世尾上菊五郎の門弟。敵役を得意とし、鶴屋南北と結んで怪談劇を演じて評判となった。
(4世)[1843~1928]大坂の人。5世尾上菊五郎の門弟。脇役平敵ひらがたきの名手。

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精選版 日本国語大辞典 「尾上松助」の意味・読み・例文・類語

おのえ‐まつすけ【尾上松助】

  1. 歌舞伎俳優。屋号音羽屋。
  2. [ 一 ] 初世。初世菊五郎の門弟。女形から敵役となる。鶴屋南北と結んで「天竺徳兵衛」など怪談狂言を初演。のち松緑を芸名とした。延享元~文化一二年(一七四四‐一八一五
  3. [ 二 ] 四世。五世菊五郎の門弟。本名栗原梅五郎。大阪の人。脇役、平敵(ひらがたき)の名手で、当たり役は蝙蝠安(こうもりやす)、按摩宅悦など。天保一四~昭和三年(一八四三‐一九二八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾上松助」の意味・わかりやすい解説

尾上松助
おのえまつすけ

歌舞伎(かぶき)俳優。6世まで継承。

[古井戸秀夫]

初世

(1744―1815)大坂生まれ。江戸に下り初世尾上菊五郎に入門、尾上松助を名のって初舞台を踏む。屋号新音羽屋(しんおとわや)。若女方(わかおんながた)として狂言作者金井三笑(さんしょう)に抜擢(ばってき)されたのち、実悪(じつあく)に転向。「加賀見山」の岩藤(いわふじ)を一代の当り役として今日にまでその型を残した。幼時竹田芝居のからくりの技術を学んだことから、人形を使っての早替りや、鬘(かつら)、化粧、衣装などの細工に、他の役者が追随しえない独自のくふうをし、異能俳優として江戸劇壇に確たる地位を得た。1804年(文化1)に、夏芝居ながら初めて座頭(ざがしら)を勤めた『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』が大当りをとり、以後晩年は隠居名松緑(しょうろく)を名のり、夏芝居の怪談狂言を家の芸として確立、やがて、この技術が養子3世尾上菊五郎の『四谷怪談』に大成される。2世はその3世菊五郎の前名で、3世は2世の長男が継いだが大成しなかった。

[古井戸秀夫]

4世

(1843―1928)本名栗原梅五郎。5世菊五郎の門弟。1881年(明治14)襲名。屋号音羽屋。脇役(わきやく)の名人で、数多い当り役のなかでも『源氏店(げんじだな)』の蝙蝠安(こうもりやす)は、15世市村羽左衛門(うざえもん)の与三郎、6世尾上梅幸(ばいこう)のお富とともに三幅対(さんぷくつい)と称せられた。

[古井戸秀夫]

5世

(1887―1937)本名福島幸吉。5世菊五郎門弟。6世菊五郎の脇役として活躍した。

[古井戸秀夫]

6世

(1946―2005)本名井上真一。2世松緑の門弟松鶴(しょうかく)が1990年(平成2)に襲名。子役時代はテレビドラマでも活躍した。

[古井戸秀夫]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「尾上松助」の解説

尾上 松助(6代目)
オノエ マツスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
井上 真一(イノウエ シンイチ)

別名
前名=尾上 緑也,尾上 松鶴(2代目)(オノエ ショウカク)

屋号
音羽屋

生年月日
昭和21年 7月13日

出生地
東京都

学歴
青山学院高等部

経歴
新派の名優・春本泰男の長男。泰明小2年の時に歌舞伎界に入り、2代目尾上松緑の部屋子となる。昭和29年尾上緑也の名で初舞台。32〜34年テレビドラマ「赤胴鈴之助」で鈴之助役を演じ、舞台化でも主演。青山学院中等部に進んで歌舞伎に専心、46年2代目松鶴を襲名。平成2年6代目松助を継ぎ、襲名披露狂言では師の2代目松緑が得意とした「御所五郎蔵」を演じ、門閥外ながら大役を演じたことでも注目を集めた。16年新橋演舞場「児雷也豪傑譚話」が最後の舞台となった。よく通る声と的確な演技で脇役として舞台を支えた。

受賞
国立劇場奨励賞〔昭和50年〕,国立劇場優秀賞〔昭和53年・平成7年・14年〕,国立劇場特別賞〔平成1年〕,真山青果賞(特別賞 第17回)〔平成10年〕,松竹会長賞〔平成10年〕

没年月日
平成17年 12月26日 (2005年)

家族
妻=河合 盛恵(女優),父=春本 泰男(俳優),息子=尾上 松也(歌舞伎俳優)

親族
おじ=尾上 松録


尾上 松助(4代目)
オノエ マツスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
栗原 梅五郎

別名
初名=松本 小勘子,前名=坂東 橘五郎,尾上 梅五郎,俳名=梅賀

屋号
音羽屋,山村屋

生年月日
天保14年 2月29日

出生地
大坂・島の内(大阪府)

経歴
8歳で7代目市川高麗蔵に弟子入り、元治元年市村家橘(後の5代尾上菊五郎)の門に移り坂東橘五郎。明治元年尾上梅五郎と改名。15年4代目松助を襲名した。44年帝国劇場専属となった。脇役の名手といわれ、「切られ与三」の蝙蝠安、「髪結新三」の長兵衛、「東海道四谷怪談」の宅悦などが得意だった。

没年月日
昭和3年 9月5日 (1928年)

伝記
人と芸談―先駆けた俳優たち森銑三著作集〈続編 第6巻〉 人物篇〈6〉 馬場 順 著森 銑三 著(発行元 演劇出版社中央公論社 ’99’93発行)


尾上 松助(5代目)
オノエ マツスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
福島 幸吉

別名
前名=尾上 伊三郎,尾上 菊松,俳名=甲羽

屋号
音羽屋

生年月日
明治20年

出生地
東京

経歴
明治30年尾上菊松を名乗って初舞台。44年名題に昇進、尾上伊三郎と改名。昭和10年に5代目松助を襲名したが、早世した。

没年月日
昭和12年 8月9日 (1937年)

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改訂新版 世界大百科事典 「尾上松助」の意味・わかりやすい解説

尾上松助 (おのえまつすけ)

歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805-51・文化2-嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843-1928・天保14-昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。《与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)(切られ与三)》の蝙蝠安は有名。(5)5世(1887-1937・明治20-昭和12) 東京生れ。5世菊五郎の弟子。1935年5世松助を襲名。6世菊五郎の脇役として活躍した。
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20世紀日本人名事典 「尾上松助」の解説

尾上 松助(4代目)
オノエ マツスケ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
天保14年2月29日(1843年)

没年
昭和3(1928)年9月5日

出生地
大坂・島の内

本名
栗原 梅五郎

別名
初名=松本 小勘子,前名=坂東 橘五郎,尾上 梅五郎,俳名=梅賀

屋号
音羽屋,山村屋

経歴
8歳で7代目市川高麗蔵に弟子入り、元治元年市村家橘(後の5代尾上菊五郎)の門に移り坂東橘五郎。明治元年尾上梅五郎と改名。15年4代目松助を襲名した。44年帝国劇場専属となった。脇役の名手といわれ、「切られ与三」の蝙蝠安、「髪結新三」の長兵衛、「東海道四谷怪談」の宅悦などが得意だった。


尾上 松助(5代目)
オノエ マツスケ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治20(1887)年

没年
昭和12(1937)年8月9日

出生地
東京

本名
福島 幸吉

別名
前名=尾上 伊三郎,尾上 菊松,俳名=甲羽

屋号
音羽屋

経歴
明治30年尾上菊松を名乗って初舞台。44年名題に昇進、尾上伊三郎と改名。昭和10年に5代目松助を襲名したが、早世した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「尾上松助」の解説

尾上松助(初代)

没年:文化12.10.16(1815.11.16)
生年:延享4(1744)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名三朝。大坂小芝居衣裳方の子として生まれた。幼時父と江戸に下り,初代尾上菊五郎の弟子となり尾上松助を名乗る。子役から若女形,さらに立役を経て実悪に進んだ。怪談物の早替わりを得意としていたが,文化1年(1804)の作者鶴屋南北との提携による「天竺徳兵衛韓噺」で怪談役者としての名声が定まり,これから怪談芝居は夏という慣習ができた。怪談,実悪の重鎮として天竺徳兵衛,「加賀見山」の岩藤を最も得意としたが,細かい演技は不得意だった。音曲をよくし,鬘の改良にも貢献した。文化6年,66歳で養子栄三郎に2代目を譲ったが,尾上松緑の名でなお出勤し,72歳で没。2代目はのちの名優3代目尾上菊五郎,3代目はその長男が継いだが大成しなかった。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』

(井草利夫)


尾上松助(4代)

没年:昭和3.9.5(1928)
生年:天保14.2.29(1843.3.29)
明治時代から昭和初年の歌舞伎役者。本名栗原梅五郎(幼名は長助)。俳名梅賀。父は5代目松本幸四郎の付人。大坂島の内で生まれ,嘉永1(1848)年,江戸で初舞台を踏む。初名松本小勘子。のちに5代目尾上菊五郎の門弟となり,市村橘五郎,尾上梅五郎を経て明治14(1881)年松助を襲名。明治44年開場の帝国劇場では,脇役ながら幹部俳優のひとりとなる。常に主役を引き立てながら,リアルで人間味溢れる妙技は「名人松助」の尊称を生んだ。門閥を持たずに出世した稀有の名手で,「東海道四谷怪談」の宅悦など世話物の敵役,老役を得意とした。松助の名跡は平成期の6代目におよぶ。<参考文献>邦枝完二『名人松助芸談』

(石橋健一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾上松助」の解説

尾上松助(4代) おのえ-まつすけ

1843-1928 幕末-昭和時代前期の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)14年2月29日生まれ。江戸で子役として初舞台。4代市村家橘(かきつ)(のち5代尾上菊五郎)の弟子となり,明治14年新富座で4代を襲名。脇役(わきやく)の名手といわれた。昭和3年9月5日死去。86歳。大坂出身。本名は栗原梅五郎。前名は坂東橘五郎,尾上梅五郎。俳名は梅賀。屋号は音羽屋。

尾上松助(3代) おのえ-まつすけ

1805-1851 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化2年生まれ。2代尾上松助(3代尾上菊五郎)の長男。文化9年2代尾上栄三郎を襲名。11年父が3代梅幸を名のったため,江戸中村座で3代松助を襲名した。立役(たちやく)をつとめた。嘉永(かえい)4年7月2日死去。47歳。江戸出身。初名は尾上朝太郎。後名は大川三朝。俳名は三朝。屋号は音羽屋。

尾上松助(5代) おのえ-まつすけ

1887-1937 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治20年生まれ。5代尾上菊五郎の門弟となり,明治30年初舞台。尾上伊三郎の名をへて,昭和10年5代松助を襲名。6代菊五郎の脇役(わきやく)として東京の市村座などで活躍した。昭和12年8月9日死去。51歳。東京出身。本名は福島幸吉。初名は尾上菊松。俳名は甲羽。屋号は音羽屋。

尾上松助(2代) おのえ-まつすけ

尾上菊五郎(おのえ-きくごろう)(3代)

尾上松助(初代) おのえ-まつすけ

尾上松緑(おのえ-しょうろく)(初代)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾上松助」の意味・わかりやすい解説

尾上松助(4世)
おのえまつすけ[よんせい]

[生]天保14(1843)
[没]1928. 東京
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。5世尾上菊五郎の門弟。本名栗原梅五郎。下回りの役者の出で,5世菊五郎や,帝劇における6世尾上梅幸らの世話狂言の脇役として,老役などに名人の名を得た。

尾上松助(1世)
おのえまつすけ[いっせい]

[生]延享1(1744)
[没]文化12(1815).江戸
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。1世尾上菊五郎の門弟。のち尾上松緑と名のる。女方から立役に転じ,敵役を本領とした。鶴屋南北に書かせた怪談劇で当りをとった。

尾上松助(6世)
おのえまつすけ[ろくせい]

[生]1946.7.13. 東京
歌舞伎俳優。屋号音羽屋。2世尾上松緑の門弟。本名井上眞一。2世尾上松鶴より 1990年襲名。尾上菊五郎劇団の中堅立役。

尾上松助(2世)
おのえまつすけ[にせい]

「尾上菊五郎(3世)」のページをご覧ください。

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367日誕生日大事典 「尾上松助」の解説

尾上 松助(5代目) (おのえ まつすけ)

生年月日:1887年3月24日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1937年没

尾上 松助(6代目) (おのえ まつすけ)

生年月日:1946年7月13日
昭和時代;平成時代の歌舞伎役者
2005年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の尾上松助の言及

【尾上松緑】より

…2世まで。(1)初世(1744‐1815∥延享1‐文化12) 初世尾上松助が1809年(文化6)11月江戸市村座で松緑と改名した。大坂生れで1755年(宝暦5)尾上菊五郎の門弟となり,61年尾上松助となる。…

【尾上松助】より

…歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843‐1928∥天保14‐昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。…

【怪談】より

…寛政年間(1789‐1801)以降,刺激的・衝撃的な戯曲を求める志向が強まるにおよんで,観客を恐怖させる目的の怪談狂言が現れた。1804年(文化1)河原崎座初演の《天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)》(4世鶴屋南北作)における乳母五百機(いおはた)の霊(初世尾上松助所演)がその嚆矢(こうし)とされる。松助はこの役で,乱れ髪や漏斗(じようご)と称する先細りの裾の鼠色の衣装などを円山応挙の絵を参考に工夫し,また引込みには仏壇へ飛びこむなどの手法で演じ,観客を驚かせた。…

【歌舞伎】より

…だが,南北の才能も,個性の強烈な実力派の役者たちがいてこそ花開いたものである。初世尾上松助(松緑),5世松本幸四郎,5世岩井半四郎,3世坂東三津五郎,7世市川団十郎,3世尾上菊五郎らの実力と個性をよく見きわめ,彼らの芸の魅力を十分に計算した上での作劇の成功が,南北を名作者たらしめたのである。南北の作品の中で,とくに〈色悪〉〈悪婆〉という新しい人間像の典型が確立したことも忘れられない。…

【尾上松助】より

…歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843‐1928∥天保14‐昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。…

【尾上松助】より

…歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843‐1928∥天保14‐昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。…

【尾上松助】より

…歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843‐1928∥天保14‐昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。…

【尾上松助】より

…歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世 初世尾上松緑の前名。(2)2世 3世尾上菊五郎の前名。(3)3世(1805‐51∥文化2‐嘉永4) 3世菊五郎の長男として江戸に生まれ,1815年(文化12)3世松助を襲名。父に従って修業し,48年(嘉永1)大川三朝と改名したが,3年後大成せずに没した。(4)4世(1843‐1928∥天保14‐昭和3) 大坂生れ。5世菊五郎の弟子。81年4世松助を襲名。渋い味の脇役として名声を上げ,名人といわれた。…

【隅田川花御所染】より

…丸顔の4世の純情な味と違って,面長で受け口の5世の坊主姿には扇情的な倒錯の美学があり,それが頽廃的な幕末の世相に合って大当りをとり,改題改作されながらも今日まで舞台生命を保つことになった。全体の構成,部分部分の趣向などは,数ある清玄桜姫物のうち,1810年(文化7)市村座で上演された尾上松助主演,鶴屋南北作の夏狂言《閨扇墨染桜(ねやのおうぎすみぞめざくら)》をほぼなぞり,弥生狂言にふさわしく《鏡山(かがみやま)》(《加賀見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)》)の狂言が新たにはめ込まれている。松助の演じた清玄を半四郎が演じ,松助の当り役《鏡山》の岩藤を団十郎が受け継ぐ構想で書かれ,そのため松助一流の早替りや蛇の仕掛物が随所に用いられる。…

※「尾上松助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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