1185年(文治1)2月19日,讃岐国屋島(高松市)で行われた源平の合戦。これより1年前,一ノ谷の戦に敗れはしたものの,平氏は総帥平宗盛が安徳天皇を擁して屋島を本営とし,平知盛が長門彦島に拠って関門海峡を押さえ,なお瀬戸内一帯の制海権を温存した。このため,山陽道を西進した源範頼麾下の追討軍は戦果に乏しく,鎌倉の源頼朝は再度源義経を登用し,屋島を突かせることにした。2月18日未明,風雨に乗じて摂津渡辺を出帆した義経は,同日早朝150余騎とともに阿波勝浦に上陸,昼夜をついで国境の山路を越え,一気に屋島を攻撃した。水辺を挟んでの戦闘は激しく,義経も家人佐藤継信(つぎのぶ)を失ったが,背後の不意を襲われた平氏軍は,またまた敗北を喫し,いったん志度浦に退いたのち海上を長門へ逃れた。戦後,河野,熊野など有力水軍の参加を得て制海権を握った源氏軍は,わずか1ヵ月にして平氏一門を長門壇ノ浦にほふることになるのである。
→壇ノ浦の戦
執筆者:杉橋 隆夫
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1185年(文治元)2月19日,讃岐国屋島(現,香川県高松市)で源義経と平氏の間で行われた戦。一の谷の戦の敗北後も,平氏は屋島にあって,瀬戸内海の制海権を保持していた。追討を命じられた義経は,2月18日未明,風雨をついて摂津の渡辺(現,大阪市)から阿波の勝浦に渡り,昼夜兼行で国境を越え,屋島を急襲。不意をつかれた平氏は敗北し,長門へのがれた。
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