山崎今朝弥(読み)やまざきけさや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥
やまざきけさや
(1877―1954)

弁護士。長野県生まれ。1901年(明治34)明治法律学校卒業。03年アメリカに遊学、幸徳秋水ら社会主義者と知り合う。07年帰国、弁護士となり、13年(大正2)東京法律事務所を創立。16年には加藤時次郎の平民病院付設の平民法律所長になり、大正期東京で起きた社会主義者の事件のほとんどを弁護した。17年には平民大学を創立。20年日本社会主義同盟、21年自由法曹団、24年日本フェビアン協会結成に参加。また雑誌『解放』(1925~33)をはじめ多くの雑誌、単行本を出版し社会主義思想の普及に努め、各種の社会主義団体に関与して左翼陣営の戦線統一を目ざした。「米国伯爵」を自称、反語・皮肉・暗喩(あんゆ)などを駆使して権力愚弄(ぐろう)し、いっさいの権威揶揄(やゆ)、奇言・奇行の人として知られた。敗戦後は自由法曹団顧問となり、三鷹(みたか)事件、松川事件を弁護した。

[北河賢三]

『森長英三郎著『山崎今朝弥』(1972・紀伊國屋書店)』

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20世紀日本人名事典 「山崎今朝弥」の解説

山崎 今朝弥
ヤマザキ ケサヤ

明治〜昭和期の弁護士,評論家



生年
明治10(1877)年9月15日

没年
昭和29(1954)年7月29日

出生地
長野県

別名
筆名=岡 陽之助

学歴〔年〕
明治法律学校(現・明治大学)〔明治34年〕卒

経歴
明治34年に司法試験に合格したが、36年に渡米し、幸徳秋水らと知り合う。40年帰国して弁護士を開業片山潜堺利彦らと交際しながら個人誌「平民法律」を創刊し、平民大学を創設するなど社会主義の宣伝、教育にあたる。大正9年堺利彦、大杉栄らと日本社会主義同盟を結成したあと、自由法曹団、日本フェビアン協会、日本労働総連合などの結成・創立に参加し、日本労農党、日本大衆党、全国労農大衆党、社会大衆党などの役員や顧問を歴任する。一方、荒畑寒村、山川均らの事件など数多くの争議の弁護士を引き受けた。戦後は昭和23年の三鷹事件や松川事件の弁護人として活躍、また全国借家人同盟の名誉会長を務めている。著書に「弁護士大安売」「地震、憲法、火事、巡査」「日本社会運動史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥 (やまざきけさや)
生没年:1877-1954(明治10-昭和29)

弁護士。長野県岡谷の自作農の三男として出生。代用教員などを経て明治法律学校(現,明治大学)を卒業し,司法官試補を3ヵ月で退職,3年の滞米生活ののち1907年に弁護士を開業する。自称〈米国伯爵〉。日本社会主義同盟(1920),自由法曹団(1921)結成に積極的に参加する。22年の懲戒裁判で4ヵ月の停職となる。日本労農党から社会大衆党にいたる中間派政党に属し,労農弁護士団事件では布施辰治らを弁護。松川事件,三鷹事件の弁護人として活躍した。著書に《地震,憲兵,火事,巡査》(1924)などがある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥【やまざきけさや】

弁護士。社会主義者。長野県生れ。明治法律学校(現,明治大学)卒業。1903年米国に留学,帰国後弁護士を開業。社会主義運動に参加し,無産運動に関する多くの裁判事件の弁護人を勤めた。1920年日本社会主義同盟,1921年自由法曹団,1924年日本フェビアン協会結成に尽力。雑誌《社会主義》《解放》等を主宰し,戦後は松川事件三鷹事件の弁護人として活躍。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥
やまざきけさや

[生]1877.9.15. 岡谷
[没]1954.7.29. 東京
弁護士,社会主義者。 1900年明治法律学校 (現明治大学) を卒業し,03年渡米。その頃から社会主義運動に関係し,労働争議,借家争議などの裁判事件の弁護をした。 1920年代の労働運動台頭期には堺利彦,大杉栄らの同志とともに 20年日本社会主義同盟を結成し,同盟が解散させられると日本フェビアン協会を組織して活動した。 21年布施辰治らと自由法曹団を結成。第2次世界大戦後も自由法曹団の再建,国民救援会,借地借家人同盟などに関与し,三鷹事件,松川事件の弁護団にも参加した。著書に『地震,憲兵,火事,巡査』 (1924) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎今朝弥」の解説

山崎今朝弥 やまざき-けさや

1877-1954 明治-昭和時代の弁護士。
明治10年9月15日生まれ。36年渡米して幸徳秋水らとまじわる。40年弁護士を開業。大正9年日本社会主義同盟の結成,10年自由法曹団の創立にかかわる。戦後は三鷹・松川事件の弁護団にくわわった。昭和29年7月29日死去。76歳。長野県出身。明治法律学校(現明大)卒。著作に「地震・憲兵・火事・巡査」。

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367日誕生日大事典 「山崎今朝弥」の解説

山崎 今朝弥 (やまざき けさや)

生年月日:1877年9月15日
明治時代-昭和時代の弁護士
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山崎今朝弥の言及

【解放】より

…文芸欄には小川未明,宮地嘉六,金子洋文らが執筆,しだいに労働者作家,社会主義的作家の寄稿が増加したが,関東大震災のため23年9月終刊した。(2)第2次 25年山崎今朝弥(けさや)の経営に移り,日本フェビアン協会の《社会主義研究》を7月号より《解放》と改題,10月号から総合雑誌化された。定価は50銭。…

【自由法曹団】より

…民衆運動弾圧事件の犠牲者への積極的な弁護・支援活動にあたってきた弁護士の団体。神戸の川崎・三菱神戸造船所争議の調査を契機に,1921年山崎今朝弥,布施辰治,上村進,片山哲ら数十名によって結成され,亀戸事件や多数の労働争議・小作争議に関与した。26年の無産政党分裂で団の統一的活動が困難となり,さらに三・一五事件等の公判方針をめぐり左翼弁護士間の統一も崩れたが,個人の団を自称した活動が行われた。…

※「山崎今朝弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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