自由法曹団(読み)ジユウホウソウダン

デジタル大辞泉 「自由法曹団」の意味・読み・例文・類語

じゆう‐ほうそうだん〔ジイウハフサウダン〕【自由法曹団】

大正10年(1921)神戸労働争議弾圧に対する調査抗議運動を契機結成された弁護士団体労働者農民・勤労市民の権利擁護をその活動方針とする。

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精選版 日本国語大辞典 「自由法曹団」の意味・読み・例文・類語

じゆう‐ほうそうだんジイウハフサウダン【自由法曹団】

  1. 人権の擁護・伸張法制革新目的として、大正一〇年(一九二一)山崎今朝彌、布施辰治らによって結成された弁護士の団体。昭和八年(一九三三)弾圧により中断。同二〇年一〇月再建

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由法曹団」の意味・わかりやすい解説

自由法曹団
じゆうほうそうだん

大正~平成期の民主的弁護士団体。1921年(大正10)神戸の川崎・三菱(みつびし)造船所争議に際しての人権蹂躙(じゅうりん)事件に対する調査と抗議の運動を契機に、山崎今朝弥(けさや)、布施辰治(ふせたつじ)、吉田市三郎(いちさぶろう)らによって自由と民主主義を目ざして同年8月に創立された。各地の労働争議、小作争議事件の調査や弁護に活躍するほか、23年の関東大震災では朝鮮人や社会主義者虐殺の調査や抗議運動を行う。治安維持法下においては、28年(昭和3)の三・一五事件などの公判闘争や犠牲者救援などを通じて弾圧反対、権利擁護のために戦うが、弾圧は直接団にも及び、33年主要団員検挙により活動は中断させられる。45年11月上村進(かみむらすすむ)を幹事長に再建。司法の民主化や労働運動の支援など民主主義運動の先頭にたち、とくに三鷹(みたか)事件や松川(まつかわ)事件には団の総力をあげて大衆的な裁判闘争を展開した。以来、護憲・人権擁護の立場からの運動を繰り広げている。

[荻野富士夫]

『自由法曹団編『自由法曹団物語 戦前編・戦後編』(1976・日本評論社)』『自由法曹団編『自由法曹団物語――世紀をこえて 上巻・下巻』(2002・日本評論社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「自由法曹団」の意味・わかりやすい解説

自由法曹団 (じゆうほうそうだん)

民衆運動弾圧事件の犠牲者への積極的な弁護・支援活動にあたってきた弁護士の団体。神戸の川崎・三菱神戸造船所争議の調査を契機に,1921年山崎今朝弥,布施辰治,上村進,片山哲ら数十名によって結成され,亀戸事件や多数の労働争議・小作争議に関与した。26年の無産政党分裂で団の統一的活動が困難となり,さらに三・一五事件等の公判方針をめぐり左翼弁護士間の統一も崩れたが,個人の団を自称した活動が行われた。しかし33年左翼弁護士の組織,日本労農弁護士団への弾圧以後,事実上団の活動も終息した。戦後の45年10月に再建され,11月の再建大会には160名が参加し上村進を幹事長に選んだ。その後,三鷹,松川,大須事件などの弾圧事件,原水爆禁止運動,安保闘争,在日朝鮮人の人権擁護闘争などで活躍し,また司法反動化反対の闘争,公害裁判にも積極的に取り組んで今日に至っている。81年末現在,団員約1100名。
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百科事典マイペディア 「自由法曹団」の意味・わかりやすい解説

自由法曹団【じゆうほうそうだん】

人権擁護や法制の革新を目的とする弁護士団体。1921年川崎造船所・三菱神戸造船所争議を機に山崎今朝弥布施辰治らが結成,労働・小作争議の弾圧や治安事件の弁護に当たったが,弾圧のため1935年ころ活動停止。1945年10月再建されて三鷹事件松川事件,原水爆禁止運動,安保闘争などで活躍し,今日に至る。団員1623人(2004)。

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