デジタル大辞泉
「山本安英」の意味・読み・例文・類語
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やまもと‐やすえ【山本安英】
- 女優。東京の生まれ。本名、千代。築地小劇場・新築地劇団に参加。のち「ぶどうの会」を主宰。木下順二作「夕鶴」のつう役を一〇〇〇回以上も演じた。明治三五~平成五年(一九〇二‐九三)
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山本 安英
ヤマモト ヤスエ
- 職業
- 女優
- 本名
- 山本 千代
- 生年月日
- 明治35年 10月29日
- 出生地
- 東京市 神田区(東京都 千代田区)
- 学歴
- 神奈川高女卒
- 経歴
- 新劇界を代表する女優の1人。大正10年2代目市川左団次主宰の現代劇女優養成所に入り、翌年帝劇で初舞台。13年築地小劇場創立に参加、さらに新築地劇団創立(昭和4年)から解散時(15年)まで活躍し、「何が彼女をさうさせたか」「女人哀詞」「綴方教室」などで優れた演技を残した。戦後、22年木下順二らと共に“ぶどうの会”を結成、24年に初演された木下作「夕鶴」は38年間に1037回を数え、35年には中国公演も行う。39年に“ぶどうの会”解散後、40年“山本安英の会”をつくり、「夕鶴」「山脈(やまなみ)」「東の国にて」「子午線の祀り」などを上演する傍ら、“ことばの勉強会”の活動を通して、美しい話し言葉の研究と普及に活躍した。「おりおりの記」「歩いてきた道」「舞台と旅と人と」「女優という仕事」などエッセー集も多い。他に「写真集山本安英の仕事」などがある。
- 所属団体
- 新劇俳優協会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(第1回)〔昭和26年〕「夕鶴」 大阪市民文化祭賞(名誉賞)〔昭和26年〕「夕鶴」,NHK放送文化賞(第3回)〔昭和27年〕,毎日演劇賞〔昭和33年〕「おんにょろ盛衰記」,朝日文化賞〔昭和49年〕,毎日芸術賞(特別賞 第26回 昭59年度)「夕鶴」
- 没年月日
- 平成5年 10月20日 (1993年)
- 伝記
- 女優 山本安英20世紀のすてきな女性たち〈1〉歌い演じるよろこび―オードリー・ヘプバーン、三浦環、ビリー・ホリデイ、松尾葉子女優という仕事物語の女―モデルたちの歩いた道新版 歩いてきた道 宮岸 泰治 著真鍋 和子,吉岡 しげ美,牧野 節子,宮 淑子 著山本 安英 著山本 茂 著山本 安英 著(発行元 影書房岩崎書店岩波書店中央公論社未来社 ’06’00’92’90’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
山本 安英
ヤマモト ヤスエ
昭和期の女優
- 生年
- 明治35(1902)年10月29日
- 没年
- 平成5(1993)年10月20日
- 出生地
- 東京市神田区(現・東京都千代田区)
- 本名
- 山本 千代
- 学歴〔年〕
- 神奈川高女卒
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨文部大臣賞(第1回)〔昭和26年〕「夕鶴」,大阪市民文化祭賞(名誉賞)〔昭和26年〕「夕鶴」,NHK放送文化賞(第3回)〔昭和27年〕,毎日演劇賞〔昭和33年〕「おんにょろ盛衰記」,朝日文化賞〔昭和49年〕,毎日芸術賞(特別賞 第26回 昭59年度)「夕鶴」
- 経歴
- 新劇界を代表する女優の1人。大正10年2代目市川左団次主宰の現代劇女優養成所に入り、翌年帝劇で初舞台。13年築地小劇場創立に参加、さらに新築地劇団創立(昭和4年)から解散時(15年)まで活躍し、「何が彼女をさうさせたか」「女人哀詞」「綴方教室」などで優れた演技を残した。戦後、22年木下順二らと共に“ぶどうの会”を結成、24年に初演された木下作「夕鶴」は38年間に1037回を数え、35年には中国公演も行う。39年に“ぶどうの会”解散後、40年“山本安英の会”をつくり、「夕鶴」「山脈(やまなみ)」「東の国にて」「子午線の祀り」などを上演する傍ら、“ことばの勉強会”の活動を通して、美しい話し言葉の研究と普及に活躍した。「おりおりの記」「歩いてきた道」「舞台と旅と人と」「女優という仕事」などエッセー集も多い。他に「写真集山本安英の仕事」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
山本安英
やまもとやすえ
(1906―1993)
新劇女優。本名千代。東京生まれ。1921年(大正10)2世市川左団次の女優養成所に入り、小山内薫(おさないかおる)作『第一の世界』で初舞台。24年小山内らの築地(つきじ)小劇場に参加、数多くの舞台に重要な役を演じた。29年(昭和4)土方与志(ひじかたよし)を擁し新築地劇団を創設、『女人哀詞』『土』などが代表的舞台。第二次世界大戦後は岡倉士朗(しろう)らと「ぶどうの会」を指導し、木下順二作『夕鶴(ゆうづる)』のつう役で絶賛を博し51年(昭和26)に文部大臣賞を受けた。65年「山本安英の会」を主宰、また木下らと「ことばの勉強会」の活動を行う。『夕鶴』の上演は回を重ねて84年7月には1000回に達し、その後も引き続き上演されている。半世紀に及ぶ演劇活動により74年に朝日文化賞を受賞。随筆集『素顔』(1936)などがある。
[祖父江昭二]
『岡倉士朗・木下順二編『山本安英舞台写真集』(1960・未来社)』▽『山本安英著『舞台と旅と人と』(1979・未来社)』
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山本安英
やまもとやすえ
[生]1906.12.29. 東京
[没]1993.10.20. 東京
女優。本名千代。神奈川高等女学校卒業。 1921年2世市川左団次主宰の現代劇女優養成所に入所,24年築地小劇場の第1回研究生となった。 29年築地小劇場の分裂後は土方与志らと新築地劇団を創設,『何が彼女をさうさせたか』『女人哀詞』『土』など,リアルな演技で絶賛を博した。 40年同劇団が強制解散させられたのちは,放送劇,朗読の分野で活躍。第2次世界大戦後,木下順二,岡倉士朗,山田肇らの理論指導のもとに若い俳優志望者の養成を心がけ,47年4月ぶどうの会を結成,特に『夕鶴』の「つう」役では文部大臣賞をはじめ二十余の賞を得た。 64年9月同会解散後は,俳優養成のための勉強会のほか,プロデューサー・システムで山本安英の会を開催。ことに木下順二作『子午線の祀 (まつ) り』は 79年の初演以来再演を重ね,高い舞台成果を上げた。独自の境地を開いた朗読にも定評があった。
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山本安英 やまもと-やすえ
1902-1993 大正-平成時代の舞台女優。
明治35年10月29日生まれ。大正10年初舞台。13年築地小劇場研究生となり「三人姉妹」などに出演,新劇の聖女とよばれた。昭和22年ぶどうの会を結成。24年「夕鶴」初演,以後つう役は生涯の当たり役となる。40年から山本安英の会を主宰,木下順二の戯曲や民話劇を演じつづけた。平成5年10月20日死去。90歳。東京出身。神奈川高女卒。本名は千代。著作に「鶴によせる日々」など。
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山本安英
やまもとやすえ
1906.12.29~93.10.20
大正・昭和期の女優。東京都出身。本名千代。2世市川左団次の現代劇女優養成所で女優の道を歩みはじめ,築地小劇場の創設に参加。木下順二が彼女のために書いた「夕鶴」を,1949~84年(昭和24~59)に1000回上演した。NHK声優の教育を通して,独自のせりふ術・朗唱法を開拓した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
山本 安英 (やまもと やすえ)
生年月日:1906年12月29日
昭和時代の女優
1993年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の山本安英の言及
【劇団】より
…滝沢修(1906‐ ),宇野重吉(1914‐88)らの〈民芸〉(正称は〈劇団民芸〉)は,1947年に創立された〈民衆芸術劇場〉が発展的解消をとげ,50年に再建された劇団である。俳優座,文学座,民芸は〈三大新劇団〉といわれ,さらに山本安英(やすえ)(1902‐93)らの〈ぶどうの会〉,村山知義らの再建〈新協劇団〉,そして〈文化座〉の6劇団が戦前・戦中の流れをくむ劇団として戦後の再スタートを切った。また53年前後には,民間放送の開始により新人俳優活躍の場も広がり,俳優座養成所卒業生らを主体とする〈青年座〉(1954年結成。…
【新劇】より
…ここでは全体的には土方の前衛志向よりも,小山内のモスクワ芸術座を手本とする近代写実演技様式の日本的な移植・形成が行われたということができるだろう。第2次大戦後の新劇界をリードした人々には,築地小劇場の研究生だった者が多く,たとえば[千田是也],山本安英(1902‐93),滝沢修(1906‐ )は初期の研究生であり,杉村春子(1906‐97)は最後のころの研究生であった。 築地小劇場が小山内の急死によって分裂,解散(1929)した後,以降,右傾化する国家権力により後述の新協,新築地両劇団が強制的に解散させられる(1940)までの期間は,それまでの数多くの欧米近代劇上演によって刺激され,また培われてきた日本近代戯曲の,いわば真の開花期であり,また心理主義的なフランス近代戯曲の翻訳上演期でもあった。…
【築地小劇場】より
…当初翻訳劇のみを上演する方針をとったため,文壇から糾弾され,経営の困難や思想的混乱から試行錯誤をくりかえしたが,芸術的統率者としての演出者の地位確立,ヨーロッパ現代劇の移入紹介,創作劇の上演などに画期的な成果を収めていった。千田是也,山本安英,杉村春子,滝沢修など現代の新劇団の指導者もここから多く育った。28年末に小山内が急逝し,翌29年には土方らが結成した〈新築地劇団〉と,残留組の〈劇団築地小劇場〉とに分裂し,劇団としての活動を終えた。…
【夕鶴】より
…木下順二(1914‐ )の戯曲。1949年1月《婦人公論》発表,同年10月ぶどうの会が岡倉士朗演出・山本安英主演によって初演し,85年4月まで1024回上演された。《佐渡島昔話集》所収の話をもとに,戦中,入営を前に初稿《鶴女房》を執筆し,それを改訂した作品。…
※「山本安英」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」