劇作家。大正3年8月2日東京・本郷に生まれる。小学4年から旧制第五高等学校にかけては熊本で過ごす。1939年(昭和14)東京帝国大学英文科卒業、大学院に進む。第二次世界大戦中、日本の民話を素材にした戯曲を書き、戦後の46年(昭和21)に『二十二夜待ち』『彦市(ひこいち)ばなし』を加筆せず発表。以後、新作の『赤い陣羽織』『三年寝太郎』(ともに1947)、改作の『夕鶴(ゆうづる)』(1949)など、一連の「民話劇」を発表し、『夕鶴』により毎日演劇賞を受けた。新劇の大衆化の試みであった。他方、明治維新期の青年群像を描いた『風浪(ふうろう)』(1947)を発表。以後、民話劇とは別系統の本格的な戯曲『山脈(やまなみ)』(1949)、『暗い火花』(1950)、『蛙(かえる)昇天』(1951)、『沖縄』(1961)などを発表し、リアリズムの流れにたつ戦後の劇作家の第一人者として活躍。近代の日本語を国民の生活に根ざしたことばとして発展させ、その凝縮したものとしての戯曲の台詞(せりふ)、舞台のことばを確立させるという問題意識からの発言、試みを続けてきた。その一つの集大成が、評論的な作品『戯曲の日本語』(1982)である。またこの志向と交錯して、詩・小説とは異なる戯曲(ドラマ)とは何かをめぐって思索をめぐらし、「ドラマ」ということばを使ったタイトルの評論集を数冊刊行してきたが、その総括的な入門書として『“劇的”とは』(1995)がある。また、この「民衆的で劇的な」という2点を体現したシェークスピアとの取り組みも長期にわたり、その結実の一つはシェークスピアの悲劇・喜劇15編を改訳した八巻本『シェイクスピア』(1988~89)である。こういう演劇的な試みと平行し、1955年のアジア諸国会議や世界平和大会への参加など、良心的、進歩的な社会発言と行動もみせてきた。ほかに、ゾルゲ事件の尾崎秀実(ほつみ)をモデルにした『オットーと呼ばれる日本人』(1962)、日本人の戦争犯罪の問題を追求した二部作『神と人とのあいだ』(1970)、『平家物語』を踏まえた『子午線の祀(まつ)り』(1978)、ポーランドのジスワフ・スコブロンスキのテレビドラマ『巨匠』を踏まえて、時代状況と向き合わない危機意識の薄さに警鐘を発した『巨匠』(1991)、小説『無限軌道』(1965)、『本郷』(1983)などがある。
[祖父江昭二]
『『木下順二作品集』全8巻(1961~71・未来社)』▽『『木下順二評論集』全11巻(1972~84・未来社)』▽『『木下順二集』全16巻(1988~89・岩波書店)』▽『『人間・歴史・運命――木下順二対話集』(1989・岩波書店)』▽『木下順二著『あの過ぎ去った日々』(1992・講談社)』▽『木下順二著『生きることと創ることと』(1994・人文書院)』▽『木下順二著『“劇的”とは』(1995・岩波書店)』▽『木下順二著『日本語について』(1997・労働旬報社)』▽『『木下順二戯曲選』全4巻(岩波文庫)』▽『宮岸泰治著『木下順二論』(1995・岩波書店)』▽『新藤謙著『木下順二の世界』(1998・東方出版)』
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…木下順二(1914‐ )の戯曲。1949年1月《婦人公論》発表,同年10月ぶどうの会が岡倉士朗演出・山本安英主演によって初演し,85年4月まで1024回上演された。…
※「木下順二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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