改訂新版 世界大百科事典 「山本梅逸」の意味・わかりやすい解説
山本梅逸 (やまもとばいいつ)
生没年:1783-1856(天明3-安政3)
江戸末期の文人画家。名古屋の彫刻師の家に生まれ,名は亮,字は明卿。梅逸のほか天道外史,春園,梅花道人などと号した。幼少から絵を好み,はじめ山田宮常,山本蘭亭らに学び,当地の豪商で古画収集家であった神谷天遊のもとに寄寓し,中林竹洞らと古画を模写・研究した。22歳で竹洞とともに京都へ出るが,やがて諸国を巡って名古屋に戻り,1854年(安政1)尾張藩の御用絵師格に任ぜられて士分に取り立てられた。山水・花鳥ともに優れた技巧を示し,特に華麗な彩色の花鳥画を得意とした。竹洞とともに名古屋を中心とする尾張南画の代表的存在で,竹洞の長子竹渓はじめ弟子の育成にもつとめた。音曲,茶の湯にも深くかかわり,横笛の名手でもあった。
執筆者:並木 誠士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報