新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山田一雄」の解説
山田 一雄
ヤマダ カズオ
- 職業
- 指揮者 作曲家
- 肩書
- 東京芸術大学名誉教授
- 旧名・旧姓
- 山田 和男,山田 夏精
- 生年月日
- 大正元年 10月19日
- 出生地
- 東京都 杉並区
- 学歴
- 東京音楽学校(東京芸術大学)器楽科ピアノ専攻〔昭和10年〕卒
- 経歴
- 父は英文学者の山田巌で、兄三人、妹二人の六人兄妹の四男として生まれる。父が奉職する学習院に学び、中等科2年の頃ピアノを独学で弾きこなして作曲に熱中。昭和3年東京音楽学校(東京芸術大学)分教場で榊原直にピアノを教わり、5年高等科に進むも東京音楽学校進学を志して休学し、梁田貞に声楽を、萩原英一にピアノを習った。6年同校予科に補欠合格し、ピアノを田中規矩士に師事。本科入学後はプリングスハイムのもとに通って作曲などを学んだ。補欠入学ながら卒業時は首席となり、10年男子として初めて卒業生総代を務めた。研究科に進み、ヘルムート・フェルマーやヨーゼフ・ローゼンシュトックに師事する一方、ピアニスト、作曲家として活動。この頃、吉田隆子と行動を共にし、10年楽団創成を旗揚げ。14年には深井史郎、小倉朗、安部幸明、尾崎宗吉、原太郎らと楽団プロメテを結成した。15年東京音楽学校の演奏会でシューベルト「未完成」を振って指揮者として歩み始め、16年新交響楽団にローゼンシュトックの補助指揮者として迎えられた。17年日本交響楽団発足に伴い尾高尚忠と共に常任指揮者に就任。以降、指揮の道を選び取り、作曲家として第一線を退く。27年より大阪放送交響楽団常任指揮者。31年富士製鉄(新日本製鉄)がスポンサーとなり、在京オーケストラの優秀者を揃えたニッポン放送用の闇オーケストラ・NFCシンフォニーオーケストラを結成、数年後雑誌に正体が暴露されるまで密かに指揮を続けた。34年易に基づき夏精、43年には一雄と改名。指揮者としては日本合唱協会音楽監督、群馬交響楽団芸術監督、京都交響楽団音楽監督、同首席指揮者を歴任。教育者としても、40年東京芸術大学助教授、46年教授。作曲、指揮だけではなく、ハープの演奏も行った。愛称は“ヤマカズ”。
- 所属団体
- 日本合唱協会,日本マーラー協会,日本指揮者協会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(第29回)〔昭和54年〕,日本芸術院賞〔昭和61年〕 紫綬褒章〔昭和51年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕 毎日音楽賞〔昭和24年〕「ヘンゼルとグレーテル」,ワインガルトナー賞,芸術祭大賞〔昭和57年〕,有馬賞〔昭和58年〕 NHK募集管弦楽懸賞第1位〔昭和12年〕「大管弦楽のための〈日本の俗謡による前奏曲〉」,新響邦人作品コンクール(入選 第2回)〔昭和13年〕「若者のうたへる歌」
- 没年月日
- 平成3年 8月13日 (1991年)
- 家族
- 妻=山田 御秩子(バイオリニスト),父=山田 巌(英文学者)
- 伝記
- 一音百態 山田 一雄 著(発行元 音楽之友社 ’92発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報