アララギ派歌人。書家。本名三郎。東京湯島に,幕府最高医官の家筋の子として生まれ,幼にして父を失う。15歳で府立一中を退学し,私立大八洲学校に入り,ついで宝田通文に就いて作歌法や古典を学び,多田親愛の門に入って和様の書道を修めた。1898年,伊藤左千夫を知り,おりから和歌革新を叫ぶ正岡子規の門人となって根岸短歌会創立に参加した。子規からは短歌のほか俳句や写生文も学び,人生処世の万般にまで薫陶を受けた。子規没後しばらく作歌から遠ざかっていたが,街頭で中村憲吉に呼び止められたことが機縁となって,1916年以降《アララギ》同人として作歌を再開,ひさしく〈子規直門の長老〉として重きをなした。歌風は,江戸趣味に根ざした洗練繊細の美をうたいあげる一方,蹉跌(さてつ)つづきの人生苦悶を淡々と詠出し,地方ブルジョアジー出身者の多いアララギ俊秀のなかでは異色の存在だった。49年芸術院会員に推され,信州安曇野の疎開先で没した。歌集《庭苔》(1926),《小笹生(おざさふ)》(1937),《湧井(わくい)》(1948),《岡麓全歌集》(1952)のほか書道関係の著作もある。〈逝(ゆ)く人はかへり来らず月も日も留(とど)まれる者のうへにつもりて〉(《雪間草》1952)。
執筆者:斎藤 正二
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明治〜昭和期の歌人,書家
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歌人。本名三郎。東京・本郷に幕府医官の三男として生まれる。府立一中を中退。幼時から書や和歌を学んだが、1899年(明治32)正岡子規(しき)を訪ね、以後根岸派の歌人として『馬酔木(あしび)』『アララギ』で活躍。『庭苔(にわごけ)』(1926)、『涌井(わくい)』(1948)など7歌集がある。じみで堅実な写生歌風を特色とするが、疎開先の長野県で詠んだ第二次世界大戦後の境涯詠には「余所(よそ)にのみ見てや終らむかの山は山のつづきの止まるところ」など沈痛をきわめた秀作が多い。書家としても第一流の存在であった。1949年(昭和24)芸術院会員となる。
[本林勝夫]
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