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明治時代の短歌結社。和歌の革新にのり出した正岡子規を中心に東京上根岸の子規庵で始められた歌会。1899年(明治32)3月14日に香取秀真(かとりほずま),岡麓(ふもと)らが集まったのを第1回とし,以後回を重ねるごとに活発となり,伊藤左千夫,長塚節らが参加した1900年には最盛期を迎えた。詠草は新聞《日本》に発表され,ときには《心の花》などの諸雑誌にも及んだ。01年以降子規の病状悪化により,場所を他に移して継続したが,その没後の03年《馬酔木(あしび)》を発刊,結社としての体制をそなえるに至った。以後左千夫を中心に運営され,08年1月《馬酔木》終刊のあとは三井甲之(みついこうし)編集の《アカネ》にゆだねられた。まもなく甲之と対立した左千夫は《アララギ》を創刊,《アカネ》との間に名義争いも生じたが,会の実質は前者に移ったといってよい。写生と万葉主義に立つ子規の指導理念を継承し,《アララギ》発展の基礎を築いたところに,その大きな意義がある。
執筆者:本林 勝夫
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短歌結社。和歌革新運動の実践として、正岡子規(しき)を中心に東京・上根岸の子規庵(あん)で始まった歌会。当初は一般に「子規庵歌会」とよばれた。1899年(明治32)3月14日、香取秀真(かとりほつま)、岡麓(おかふもと)らが集まり、以後回を重ねるにしたがい結社運動としての実質を備えるに至った。翌1900年、伊藤左千夫(さちお)、長塚節(たかし)らが参加して最盛期を迎えたが、その詠草は子規没後に『馬酔木(あしび)』の創刊をみるまで、新聞『日本』や『心の花』などの諸雑誌に発表された。万葉を尊重し、写生を唱えて新詩社と対立したが、その写実主義は『馬酔木』『アカネ』を経て、『アララギ』に継承され、大正期になって歌壇の一大勢力を形成するに至った。
[本林勝夫]
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