岩井集落の南東にある温泉地。清和天皇の頃、藤原冬久が開いたといわれる。戦国時代の戦乱で湯池が埋まり中絶していたが、池田光仲が再興したという(因幡志)。寛政(一七八九―一八〇一)の頃には八ヵ所の湯池があった。一の湯は藩主専用で、二の湯は諸士、新湯は百姓町人が利用したが、一の湯以外は銭湯であった。入込み湯の中湯・小女郎湯・女湯・男湯のほかに瘡湯もあった(因幡志)。なお新湯は元禄一一年(一六九八)藩が掘削したもの(岩美町誌)。
明暦元年(一六五五)制札が下され混浴は厳しく禁じられたが(在方御法度)、女湯は温度が低いため寛文四年(一六六四)侍中女中方に男湯の鍵が渡され男湯・女湯両方とも自由に入湯することが許された(在方御定)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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