日本大百科全書(ニッポニカ) 「島ヶ原」の意味・わかりやすい解説
島ヶ原
しまがはら
三重県中西部、阿山郡(あやまぐん)にあった旧村名(島ヶ原村(むら))。現在は伊賀(いが)市の西端を占める一地域。2004年(平成16)上野(うえの)市、伊賀町、阿山町、青山町、大山田村と合併、伊賀市となる。名称の「島ヶ原」は近世までの郷村名による。旧村域は、上野盆地の西端に位置し、中央を木津川(きづがわ)が西流し、川に沿って国道163号とJR関西本線が通じる。鎌倉時代から伊賀越えの宿であり、江戸時代には奈良街道の島ヶ原宿として栄えた。また1854年(安政1)の地震までは木津川を川舟が遡航(そこう)した。明治になって南部丘陵の第三紀層に耐火性の高い木節粘土と陶器用珪砂(けいさ)の層が発見され、現在も主要産物として移出されているほか、地区内に耐火れんが工場がある。農業は米作を中心に、キュウリの抑制栽培などが行われている。観菩提寺(かんぼだいじ)(正月堂)は奈良東大寺二月堂の別院といわれ、本堂と楼門は室町期のもので伊賀地方最古の建造物であり国の重要文化財、同寺の十一面観音立像も国の重要文化財に指定される。観菩提寺の修正会(しゅしょうえ)は県指定無形民俗文化財。
[伊藤達雄]