日本大百科全書(ニッポニカ) 「工業廃水」の意味・わかりやすい解説
工業廃水
こうぎょうはいすい
工業活動から生ずる有害汚染物質を含んだ汚水。機械加工や食品加工工場などは、洗浄、冷却、精製等に多量の工業用水を使用し、一部、有害汚染物質を含んだ使用済み用水を、工業廃水として排出している。たとえば、製紙工場は遊離塩素を、木材パルプ製造やビスコースフィルム製造は亜硫酸塩を、電池製造は酸類を、めっき工場はシアン、ニッケル、カドミウム、亜鉛、六価クロムを、化学工場はフェノール等を、洗濯所はアルカリ類を、鉛鉱山は鉛を、染料製造はヒ素を、といったぐあいに、工業活動は、それぞれ関連する有害汚染物質を含んだ汚水を排出する可能性をもっている。これら有害汚染物質の環境に配慮することのない流出が、公共河川や海域の水質を汚濁し、農業や漁業や人命に大きな被害を与えてきた。明治期に足尾銅山でおこった鉱毒事件のほか、製紙業の廃水を主因とした静岡県富士市田子浦(たごのうら)港のヘドロ、熊本県水俣(みなまた)市におけるチッソ水俣工場の廃水による有機水銀中毒である水俣病、新潟県鹿瀬(かのせ)町(現、阿賀(あが)町)・昭和電工鹿瀬工場(後の鹿瀬電工、現、新潟昭和)のある阿賀野(あがの)川流域で発生した新潟水俣病、岐阜県吉城(よしき)郡神岡(かみおか)町(現、飛騨(ひだ)市)・三井金属鉱業神岡鉱業所(現、神岡鉱業)のある神通(じんづう)川流域でのカドミウム中毒であるイタイイタイ病などは、いずれも工業廃水を直接的な原因とした大きな社会問題であった。
こうした事態に対し、とくに、漁民と警官隊との衝突をみた東京都江戸川区での本州製紙(現、王子製紙)江戸川工場汚水事件をきっかけに、1958年(昭和33)には工場排水規制法、水質保全法が制定された。さらに、1970年には、この二法を統廃合して実効性を重視した水質汚濁防止法が制定された。水質汚濁防止法は、基準を明示し、規制を強化することにより健康被害者などの保護を目的としている。1980年には、約560業種を規制対象とし、BOD(biochemical oxygen demand=生物化学的酸素要求量)やCOD(chemical oxygen demand=化学的酸素要求量)など水質に関する環境基準を示し、排水規制ないし監視体制の強化を打ち出している。とりわけ、カドミウム、シアン、有機リン、鉛、六価クロム、ヒ素、アルキル水銀およびPCB(polychlorinated biphenyl=ポリ塩化ビフェニル)など人体に大きな影響を与える有害汚染物質の規制を厳しくしている。ただ、特定工場から公共用水域に排出される汚水に対し、水質汚濁防止法による全国一律の排水基準を提示するのみでは、環境基準の達成は困難であり、また、水質汚濁防止法による規制は、規制対象施設や排水量を指標に限定的に適用されるものである。多くの都道府県は条例により上乗せ基準を決定し、排水規制を補強している。
環境庁(現、環境省)は、1994年(平成6)に、水質汚濁にかかわる環境基準を見直し、新たな水質環境基準を設定し、農薬、揮発性有機化合物、無機・金属成分等25項目の要監視項目を選定し、監視を強化している。さらに、1996年に水質汚濁防止法は、地下水汚染原因者に対し浄化義務制度を導入するよう改正された。2011年(平成23)には、特定事業所での排水測定結果の記録の保存を義務付け、測定結果の未記録や虚偽の記録についての罰則の創設や事故時の措置対象となる物質および施設の開示義務を追加している。課題を残しつつも、水質汚濁防止法の改正を通して、規制対象業種を拡大し、厳しい環境基準を設定し、監視や罰則等工業廃水に対する規制を厳しくすることにより、漁業等に対する被害は減少傾向にある。工業廃水からレアメタルを採取し、浄水化する技術、工業排水処理設備、施設は充実してきている。しかし、半導体などを生産するハイテク工場での地下水の汚染や新興国に移転した工場の廃水処理、原子力発電所で事故がおこった際の廃水処理等、深刻な諸問題が持続しており、工業排水問題が克服されているわけではない。
[大西勝明]