日本大百科全書(ニッポニカ) 「巨文島事件」の意味・わかりやすい解説
巨文島事件
きょぶんとうじけん
1885年3月イギリス艦隊が朝鮮全羅南道の半島南端と済州島のほぼ中間にある巨文島を不法に占領した事件。当時イギリスとロシアはアジア地域で利権問題で対立し、とくにアフガニスタン国境問題では極度に緊張していた。一方、日本と清(しん)国の朝鮮への内政干渉が強くなり、朝鮮政府内の一部にはロシアの力を利用しようとする動きがあった。そこからロシアの永興(えいこう)湾提供要求が起こり、このような極東におけるロシアの南下政策の積極化にイギリスは脅威を感じた。そこで、イギリスはロシア艦隊の朝鮮海峡の通路を遮断する目的で突如巨文島に東洋艦隊を派遣して占領、要塞(ようさい)を築いた。清国はロシアを制するため初めこの占領を是認したが、朝鮮政府はただちに抗議し、イギリス艦隊の撤退を要求するとともに、アメリカ、ドイツ、日本に対して調停を要請し、事件は国際問題化した。ロシアは、清国がイギリスの占領を認めれば自国も朝鮮の一部を占領すると強く主張し、おりしもアフガニスタン国際問題も解決して、1887年2月イギリス艦隊は撤退した。
[朴 慶 植]