コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

市川正一 イチカワショウイチ

6件 の用語解説(市川正一の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

いちかわ‐しょういち〔いちかはシヤウイチ〕【市川正一】

[1892~1945]社会主義運動家。山口の生まれ。日本共産党創立に参加。機関紙「赤旗」の編集責任者。昭和4年(1929)四・一六事件で検挙され、獄死。著「日本共産党闘争小史」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

市川正一【いちかわしょういち】

日本共産党指導者。山口県出身。早大卒。1922年日本共産党に入党。1928年の三・一五事件以後,党再建の中心となったが,1929年の四・一六事件で検挙され,非転向のまま獄死。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

市川正一 いちかわ-しょういち

1892-1945 大正-昭和時代前期の社会運動家。
明治25年3月20日生まれ。市川義雄の兄。大正11年雑誌「無産階級」を創刊。翌年共産党にはいり,党理論誌「赤旗(せっき)」の編集委員となる。15年党中央委員。昭和3年コミンテルン大会に出席。4年検挙されて無期懲役となり,昭和20年3月15日獄死した。54歳。山口県出身。早大卒。著作に「日本共産党闘争小史」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

いちかわしょういち【市川正一】

1892‐1945(明治25‐昭和20)
日本共産党の理論的指導者。山口県生れ。1916年早稲田大学卒業,新聞記者となる。20年ころより社会主義を研究,23年1月共産党に入党,6月第1次共産党事件で検挙され禁錮8ヵ月。24年5月共産党理論誌《マルクス主義》編集委員,6月政治研究会結成に参加し無産政党綱領・規約草案を起草する。26年3月《無産者新聞》主筆,12月共産党第3回大会で中央委員となる。28年三・一五事件で検挙をまぬかれ党再建に従事,7月のコミンテルン第6回大会に出席し日本の情勢を報告,以後党の中心となって運動を指導する。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

いちかわしょういち【市川正一】

1892~1945) 社会主義運動家。山口県生まれ。早大卒。日本共産党の創立に参加し、指導者の一人として活躍。1929年検挙され、無期懲役。獄死。「日本共産党小史」は公判廷での陳述を編集したもの。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市川正一
いちかわしょういち
(1892―1945)

大正~昭和前期の共産主義者。明治25年2月山口県厚狭(あさ)郡宇部村(現、宇部市)に生まれる。1916年(大正5)早稲田(わせだ)大学文学部を卒業し新聞記者になったが、20年ごろから社会主義を研究し、22年に雑誌『無産階級』を発刊、翌23年1月日本共産党に入党。この年6月に検挙され12月まで入獄、26年12月の第3回大会で中央委員。28年(昭和3)の三・一五事件では検挙を免れ、組織再建に努め、7月にモスクワで開かれたコミンテルン第6回大会に参加、帰国後中央ビューローで指導したが、29年四・一六事件で検挙された。獄中で公判を指導し、党史を代表陳述、無期懲役の判決を受けた。35年コミンテルン執行委員に選ばれた。17年間非転向を貫き、昭和20年3月15日、宮城刑務所で栄養失調のため死去。本籍地の山口県光(ひかり)市に記念碑がある。[梅田欽治]
『『市川正一公判陳述』(新日本出版社・新日本文庫) ▽『獄中からの手紙』(新日本出版社・新日本文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の市川正一の言及

【赤旗】より

…なお,これに先だって1923年4~6月に同名の雑誌が刊行されている。これは,1922年創立の第1次日本共産党の党員,山川均,市川正一らによって出された日本共産党合法理論機関誌である。機関紙《赤旗(せつき)》は,28年2月1日に謄写印刷で創刊され,月2回刊,定価5銭で,完全な非合法新聞として刊行されつづけたが,相次ぐ官憲の弾圧によって35年に停刊した。…

【三・一五事件】より

…田中内閣は,事件の記事解禁の4月10日,労農党,評議会,全日本無産青年同盟の3団体を共産党の外郭団体との理由で解散を命じ,ついで,治安維持法の最高刑10年の懲役を死刑もしくは無期にひきあげるなど改悪し,全県警に特別高等課(特高)を設置するなど共産主義や社会運動に対する弾圧体制を強化した。 検挙を逃れた市川正一らの幹部は,弾圧への抗議行動を訴えつつ党の再建をはかるとともに労農党などの再建につとめたが,コミンテルンの方針転換もあってその指導は混乱し,再建が軌道にのらないうちに翌29年4月の四・一六検挙で壊滅的打撃をうけた。三・一五事件の裁判は,四・一六事件の被告と統一して行われ(一部は分離公判),被告らは,裁判を共産党の宣伝扇動の場として利用する闘争を展開したが,32年10月の判決では,三・一五事件の被告徳田球一,志賀義雄,杉浦啓一,河田賢治らは,治安維持法改悪前の最高刑10年の懲役を科された。…

※「市川正一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

市川正一の関連キーワード赤旗前衛福本和夫ヒルファディング理論段数安東仁兵衛日本共産党第6回全国協議会《日本共産党闘争小史》日本共産党労働者派《日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ》

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone