帯山与兵衛(読み)タイザン ヨヘエ

20世紀日本人名事典 「帯山与兵衛」の解説

帯山 与兵衛(9代目)
タイザン ヨヘエ

明治・大正期の陶芸家



生年
安政3年(1856年)

没年
大正11(1922)年

出生地
京都

本名
清水 竜三郎

経歴
明治11年、錦光山家・安田家と並び京都の粟田口焼を代表する窯屋帯山家の養子となり、9代目与兵衛を継ぐ。伝統的な色絵に加えて十錦手や金泥を用いた装飾性豊かな陶器を製作、その様式は京薩摩と呼ばれ、各国万国博覧会で多くの賞を獲得するなど高い評価を受けた。また陶器の海外輸出にも積極的で、6代錦光山と共にその推進役として活躍。27年粟田口の窯を廃して京都南部の八幡に移り、南山焼を興した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「帯山与兵衛」の解説

帯山与兵衛(9代)

没年:大正11(1922)
生年:安政3(1856)
明治大正期の京都の陶芸界の指導者。3代清水九兵衛の次男。京都生まれ。名は竜三郎。明治11(1878)年帯山家の養子となり,9代帯山与兵衛を継ぐ。帯山家は錦光山家,安田家と共に粟田口焼を代表する窯屋で,明治維新後いちはやく輸出陶器を心がけていたが,この推進役として9代与兵衛は大活躍した。白釉の陶胎をベースにして,伝統の色絵に十錦手を加味し,さらに金泥をたっぷり使って,京薩摩と呼ばれる装飾性豊かな器を作り,各国の万国博覧会で銀牌を受賞した。明治27年に粟田口窯を廃し,京都南部の八幡に南山焼を興したといわれる。

(矢部良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「帯山与兵衛」の解説

帯山与兵衛(9代) たいざん-よへえ

1856-1922 明治-大正時代陶工
安政3年生まれ。明治11年帯山家の養子となり9代をつぐ。装飾性の豊かな色絵陶器を製作し,6代錦光山(きんこうざん)とともに,積極的に陶器の海外輸出をはかった。大正11年死去。67歳。旧姓は清水。名は竜三郎。

帯山与兵衛(初代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代前期-中期の陶工。
近江(おうみ)(滋賀県)の人。延宝(1673-81)のころ京都粟田(あわた)東町で陶業をはじめる。帯山と号し,白色,黒色,緑色,柿色などで描画をほどこした陶器を焼いたという。姓は高橋。名は藤九郎

帯山与兵衛(6代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代後期の陶工。
天保(てんぽう)(1830-44)のころ帯山の名をつぎ,京都で彩画陶器をつくった。粟田(あわた)彩画のはじめとされる。画家の松村景文,岡本豊彦らと交遊があった。

帯山与兵衛(4代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代中期-後期の陶工。
天明(1781-89)のころ京都で帯山の名をつぎ,寛政のころ陶質の瑠璃(るり)地,堆朱(ついしゅ)様の器などをつくった。

帯山与兵衛(8代) たいざん-よへえ

?-1878 幕末-明治時代の陶工。
文久のころ帯山の名をつぎ,飲食器,花器などをつくる。欧米向けの陶器も製作した。明治11年7月死去。

帯山与兵衛(5代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代後期の陶工。
文化(1804-18)のころ京都で陶質青磁をはじめてつくり,以後宮中御用達(ごようたし)となった。

帯山与兵衛(2代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代中期の陶工。
享保(きょうほう)(1716-36)のころ,京都で茶器をつくって名声をえた。

帯山与兵衛(7代) たいざん-よへえ

?-1862 江戸時代後期の陶工。
嘉永(かえい)のころ帯山の名をついだ。文久2年8月死去。

帯山与兵衛(3代) たいざん-よへえ

?-? 江戸時代中期の陶工。
宝暦2年(1752)家業をつぎ,茶器,酒器などをつくった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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