筑波山を南端に含める八溝(やみぞ)山地の東側と南側に広がる台地で,茨城県内の平地の主要部分を占める。南縁は利根川の低地に,北縁は阿武隈高地の南麓に限られ,東縁は鹿島灘に臨む海崖に終わる。西縁はほぼ小貝川河道に沿う南北線にあたる。下総(しもうさ)台地と同じような地質構成で,洪積世成田層の海成砂層を主体とし,表層には厚さ2mほどの褐色の関東ローム層が載る。下総台地とは成因も同じく,浅海底が隆起して生じた海岸平野に由来する洪積台地で,合わせて常総台地とよばれる。下総台地と異なる点は,山地に発し東流または南東流する河川の久慈川,那珂川,沼川,桜川などに貫流されて勝田台地,行方(なめがた)台地などのいくつかの台地塊に分かれることである。また台地を刻む開析谷底は沖積世の海進によって一時海湾となっていたが,谷口を河川堆積物によってせき止められたため淡水湖の霞ヶ浦,北浦,涸(ひ)沼へと変化した。台地面は下末吉面とよばれる同時代に形成された地形面が広がっている。高度分布は東寄りに高く鉾田市の海寄りで44m,中央部の百里基地で32m,西側のつくば市の旧谷田部(やたべ)町で22mというように東から西にゆるく傾いており,関東造盆地運動の影響とみられる。台地面の標高は東縁の一部を除きほぼ20~30m台にあり,著しく平たんである。台地塊ごとに細長い開析谷や台地上の浅い谷,崖端から発達する樹枝状の谷が目だち,一部では軟弱な砂層のため台地面の削剝がすすんでゆるやかな円丘群に変化しているところもある。鹿島灘に沿う海崖に露出する砂層は風食を受け,その砂が再堆積して鹿島砂丘などの目だった砂丘地帯をつくる。霞ヶ浦,北浦に隔てられた鹿島,行方の台地は近年まで孤立性が高く,鹿島付近の砂地はかつては小玉スイカなどを産する農地であったが,1969年掘込み式港湾が開港し,鹿島臨海工業地域へと顕著に変化した。那珂湊より北部の砂丘地帯には東海村の原子力研究所をはじめとする核エネルギー関連施設があるほか,旧水戸射爆場用地がある。
現在,台地上の農地は浅谷底が水田に利用されるほかはサツマイモ,ゴボウなど根菜類の栽培に特色がある。常陸台地は1950年代までは関東平野の中では平地林の面積が多く,相対的に開発が遅れた地域であったが,その後は筑波研究学園都市を含めた首都圏内の大規模開発がこの台地面上に進行し,常磐自動車道や鹿島へのJR鹿島線などが建設され,相貌を一変しつつある。
執筆者:式 正英
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茨城県中央部に広がる更新世(洪積世)の台地。久慈(くじ)川、那珂(なか)川、涸沼(ひぬま)川、北浦、霞ヶ浦(かすみがうら)、桜川、小貝(こかい)川、鬼怒(きぬ)川、飯沼(いいぬま)川、利根(とね)川などで侵食され、那珂、東茨城、鹿島(かしま)、行方(なめがた)、新治(にいはり)、筑波稲敷(つくばいなしき)、結城(ゆうき)、猿島(さしま)などの台地に分離している。台地面は古河市(こがし)を中心にして関東平野周辺に同心円状に高度を増し、たとえば古河付近15メートル、水海道(みつかいどう)付近20メートル、土浦付近25~30メートル、行方台地35メートル、鹿島台地40メートルとなっている。これは関東構造盆地運動による影響で、各河川下流部に湖沼や湿地のできやすい面もある。表面はローム層で覆われ、その下は粘土、礫(れき)、砂の成田層群とよばれる海成層がおもである。土壌は黄褐色のやせ土(赤土)で、地下水位も深く水に乏しいため、マツ、ナラなど平地林が多く、薪(まき)、炭など林業がみられた所である。明治時代と第二次世界大戦後に農業開拓が進んで、陸稲、麦類、サツマイモ、葉タバコ、クワなどが栽培された。1970年代以後は、ハクサイ、ゴボウ、露地メロン、レタス、ラッカセイなどの主産地となっている。一方で原子力施設、筑波研究学園都市、工業団地、住宅団地など、JR常磐(じょうばん)線を軸に開発が進んでいる。
[櫻井明俊]
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