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幡随意 ばんずいい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

幡随意
ばんずいい

[生]天文11(1542)
[没]元和1(1615).4.
江戸時代初期の浄土宗僧。幼くして出家,鎌倉の光明寺で学を修め,次いで川越の蓮馨寺の感誉存貞の門に入った。天正3 (1575) 年諸国を行脚,館林に善導寺を開き,慶長6 (1601) 年京都百万遍知恩寺に晋山。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

幡随意 ばんずいい

1542-1615 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)11年10月15日生まれ。浄土宗。聖伝(しょうでん),存貞にまなぶ。慶長6年(1601)京都の知恩寺33世となり,8年(一説に15年)江戸神田に新知恩寺(幡随院)をひらく。のち長崎でキリシタンの改宗につとめた。慶長20年1月5日死去。74歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。俗姓は上宮。字(あざな)は白道。号は演蓮社智誉向阿。

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大辞林 第三版の解説

ばんずいい【幡随意】

1542~1615) 安土桃山・江戸初期の浄土宗の僧。相模さがみの人。徳川家康の要請をうけて江戸に幡随院を開創。幕命で九州に赴き切支丹信徒の改宗に努力した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

幡随意
ばんずいい
(1542―1615)

近世初期の浄土宗の学僧。演蓮社智誉向阿(えんれんじゃちよこうあ)と号し、字(あざな)を白道(びゃくどう)という。相模(さがみ)国(神奈川県)藤沢の生まれで、姓は上宮(うえみや)(または川嶋(かわしま))。11歳で出家し、鎌倉光明寺(こうみょうじ)の智聡(ちそう)、武蔵(むさし)国(埼玉県)川越蓮馨寺(れんけいじ)の存貞(ぞんてい)に就いて内外の典籍ことに宗学を学び、上野(こうずけ)国(群馬県)館林(たてばやし)善導寺(ぜんどうじ)に住した。諸国への巡教、諸寺院の建立、宗侶(しゅうりょ)の養成、また幡随意流の伝法(でんぽう)を創始するなど、教学、布教両面の振興に尽力した。1608年(慶長13)以前に江戸・神田に幡随院(新知恩寺(しんちおんじ))を開き、13年には幕府の命により長崎に下向し、キリシタンの糾明にあたった。そのとき長崎に開かれた寺が大音寺(だいおんじ)、白道寺(びゃくどうじ)である。[阿川文正]

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