人形浄瑠璃。時代物。5段。通称《俊寛》。近松門左衛門作。1719年(享保4)8月大坂竹本座初演。《平家物語》の世界から,平清盛,常盤御前,牛若丸,俊寛らの活躍を劇化したもの。三段目の朱雀御所の段が,当時の吉田御殿を当て込んでいて,〈女護島〉の外題がついた。二段目の鬼界ヶ島の段が,人形浄瑠璃,歌舞伎で早くから特に有名であった。清盛の横恋慕に,俊寛の妻あずまやは自害して操を守る。怒った清盛は,俊寛の赦免を認めない。鬼界ヶ島の流人成経と康頼は赦免状が届いて喜び,成経は妻の千鳥を伴い帰京しようとするが,千鳥は乗船を拒否される。俊寛は重盛の恩情を伝える教経の赦免状によって帰洛がかなうことになるが,妻の死を知って千鳥に代わって島に残る決意をし,それを認めない役人瀬尾を討つ。みずからの意思で新たな罪を作り島に残る俊寛が,帰途につく仲間と別れを惜しむ場がクライマックスとなる。一方,清盛になびいた常盤御前の住む朱雀御所では,毎夜若い男の行方不明事件が続き,宗清がその探索にあたる。常盤と牛若が源氏再興のために武士を集めていることが判明するが,宗清は娘のためにみずから討たれ,牛若たちを逃がす。上京の途中,清盛に殺された千鳥や先のあずまやらの怨霊の祟りなどがあって,清盛は焦熱地獄の中でとり殺されてしまう。二段目の鬼界ヶ島の段は,能《俊寛》と同じで,《平家物語》の足摺りを劇化したものだが,近松の新しい解釈によって,原作の島に置き去りにされる受難の人から,若者たちのためにまた妻への愛のために自分で島に残る英雄的人物に再創造され,独立した悲劇となっている。歌舞伎でも,幕切れの演出などに工夫が重ねられ,外国公演でも評判の高い舞台になっている。三段目の宗清の死は,娘のための身代りの死で,時代物特有の悲劇的場面であるが,緊密性に欠けるところがあり,あまり上演されることがない。〈俊寛〉の部分は,書替物として1757年(宝暦7)2月竹本座の人形浄瑠璃《姫小松子日の遊(ひめこまつねのひのあそび)》などに展開している。
執筆者:向井 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。近松門左衛門作。1719年(享保4)8月、大坂・竹本座初演。『平家物語』をもとに、平重衡(しげひら)の南都焼討ち、鬼界ヶ島の流人、常盤御前(ときわごぜん)と牛若丸の苦心、清盛の病死、頼朝(よりとも)の旗揚げなどを脚色。題名は、三段目「朱雀(すざく)御所」で、常盤御前が源氏の味方を集めるため、色欲にふけるとみせて往来の男を引き入れるという筋に由来するが、有名なのは二段目「鬼界ヶ島」で、「俊寛(しゅんかん)」の通称で知られる。平家転覆の陰謀破れ、鬼界ヶ島に流刑となった俊寛僧都(そうず)、平判官康頼(やすより)、丹波(たんば)少将成経(なりつね)は、都から瀬尾(せのお)太郎と丹左衛門(たんざえもん)を上使とした赦免の船が着いたのに、俊寛だけが赦免状に名が漏れ、嘆き悲しむ。平重盛(しげもり)の命を受けた丹左衛門によって俊寛は九州までの乗船を許されるが、成経と愛し合う海女千鳥(あまちどり)は無情な瀬尾から同船を拒まれる。悲嘆を見かねた俊寛は、瀬尾と闘ってこれを殺し、自分のかわりに千鳥を乗せ、ひとり島に残って、遠ざかる船を見送る。謡曲『俊寛』をなぞりながら、千鳥と成経の恋によって彩りを加え、俊寛に特殊な性格を与えたもの。歌舞伎(かぶき)では、終段の俊寛の悟ろうとして悟りきれない悲哀を描くのに、回り舞台と浪布の効果を活用した演出が光っている。
[松井俊諭]
『守随憲治・大久保忠國校注『日本古典文学大系50 近松浄瑠璃集 下』(1959・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
※「平家女護島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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