( 1 )年初に贈り物をする習慣は古くから存在し、宮中での正月の賜物に関する記述は多い。広く盛んになったのは室町時代で、太刀、金子、硯、酒等さまざまな品物が用いられた。特に男児のいる家には毬杖(ぎっちょう)(=毬を打つ道具)や振々(ぶりぶり)(=振々毬杖)、女児のいる家には羽子板や紅箱などを贈ったという。
( 2 )近世には、武士は太刀、商人は扇子、医者は丸薬、などと自分の作った物や家業と関係深いものを贈るようになった。その中でも扇子は広く用いられた。
( 3 )明治に入っても、手ぬぐい、略暦などが贈られた。ただ、対象が目下、特に子供に限られてきたようである。子供にこづかいをやる習慣は、一般的には近代以降のものである。
正月に子どもらに与えるこづかい(お年玉)をいうが,かつては新年を祝ってする贈物全般を指した。年初に贈物をする習慣は,室町末にはすでに公家の間でも盛んで種々の品が用いられたが,近世になると武士は太刀,商人は扇子,医者は丸薬などとそれぞれの品が特定化した。年玉は歳暮(せいぼ)とは逆に目上など上位の者から贈られるのが特徴で,語源を年の賜物とする説もある。ただ単なる下賜の品ではなく,年神からの賜物とする民俗学的解釈が有力である。正月鏡餅のほかに数多くの小餅をつくり家族の一人一人に配分したり,人数分の餅を神棚に上げておく風は各地にあり,鹿児島の甑(こしき)島では,〈トシドン(年殿)〉という年神に扮した村人が元朝各家を訪れ子どもらに配る丸餅を年玉と呼ぶ。出雲の海岸部では,大晦日に年神が年玉を投げつけるのでいくら隠れても年を取るのを免れないなどという。分家が本家へ年始に行き歳暮のお返しに年玉の餅をもらう地方も多く,年玉とは本来こうした年神と相嘗(あいなめ)するための餅ではなかったかと推定されている。なお子どもにこづかいをやる習慣は,年始の役を子どもにさせる熊野灘の漁村などには古くからあったが,この習慣には,訪れる子どもを福の神とみたて,これに施すと余慶が得られるとする観念が潜んでいよう。
→贈物
執筆者:岩本 通弥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
新年を祝う贈答品一般をさす語であるが、近年はとくに正月に与える小遣いの意に限定されつつある。新年に際しての贈答慣行は中世までさかのぼることができるが、近世の文献には年玉銀、年玉扇、年玉薬(ぐすり)などの名称がみえる。年玉銀は年玉としての金銭、年玉扇は町人らが贈り物とした扇、年玉薬は年玉丸(がん)ともいって医者が配った粗製の丸薬である。このように、近世の町場では年玉の品物が特定する傾向もあったが、全国的には餅(もち)がその中心である。正月の餅のなかで、とくに家族の数だけの小餅をつくり、それを年棚にあげて雑煮(ぞうに)にして食べるといった慣習はまだ各地に残っている。新しい年を迎えて歳(とし)を一つ重ねることを、こうした年玉が象徴しているのである。島根県の海岸部では、大晦日(おおみそか)に年神様が年玉を配りにくると伝えている。また、鹿児島県の甑(こしき)島ではトシドン(年殿)に扮(ふん)した若者が戸別に訪れて、子供に年玉の餅を与えるといった行事が営まれている。こうした年玉としての餅をフクデ、タマシイ、ミイワイとよぶ地方も少なくない。いずれも自身の霊力や活力を意味することから、年玉を食すことによって、弱った霊力や活力を更新すると考えられてきた。
[佐々木勝]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…そうした餅を人間が儀礼食として食べるということは,神の霊力を体内に鎮め,生命力を再生・補強することであった。新年の年玉(としだま)は年魂であり,昔は餅を各人に授けて年をとらせる習俗が各地にあったが,鹿児島県の甑島(こしきじま)では現在も新年の夜にトシドンという神が各家を訪れて餅を授け,その餅をトシダマといっている。年の改まった新年にはとくに稲霊によって生命を再生させるために,餅に対する期待が強かったのである。…
※「年玉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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