平安時代以降,多くの官司や院庁(いんのちょう),寺院におかれた職名。官司では,長官により判官・主典から任じられた年預が,料物の賦課・徴収,文書の作成・保管,官司領の管理など実務全般の責任者となり,四等官制にかわり長官―年預による官司運営が一般化した。院庁・女院庁では年預別当・年預主典代が執事別当のもとで庶務を処理し,高野山・東大寺・東寺などの寺院年預は大衆集会(だいしゅしゅうえ)開催,その記録・保管・執行,寺院内統制と外部折衝を任とした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…預は一般に別当の下に位置付けられ,実務担当の責任者としてその機関の運営に参与する場合が多いが,末端組織の責任者として単独で置かれることもある。また,平安中期以降,年預という職があらわれる。その性格は預に類似したものと思われるが,これは諸院・諸家・寺社のほかに正規の令制官職にも置かれ,実務担当者として重要な役割を果たした。…
…猿楽の芸の主体が歌舞劇としての能に移り,翁猿楽の地位が低下した南北朝時代後半には,5人登場する形から露払・翁・三番猿楽の順に3人が舞う(別に面箱持ちが出る)形になっているし,観阿弥が今熊野猿楽で《翁》を舞い,専門役者以外の者の《翁》上演の道を開くなどこの時期には翁猿楽もかなりの変化をとげたようだが,それらを踏まえて上演された世阿弥時代の演出形態が今日のそれとほぼ通ずるものになっているようである。なお,薪猿楽などでは《翁》を専門役者以外の者が演ずることはなく,後々まで長(およびその後身の年預(ねんよ)衆)が演じていた。翁猿楽の特殊性を示していたといえよう。…
…この給免田を中心に彼らの開発した田畑は,御厨(みくりや),御野(みの),御薗(みその)といわれたが,供御人たち自身はそこを根拠に,津,泊,関などでの交通税免除の特権を得て諸国を自由に遍歴して交易を行い,その上分(じようぶん)や製品を年貢,公事(くじ)として官司に貢納した(その種類については表参照)。各官司は年預(ねんよ)を通じて供御人を支配し,供御人集団は番に編成されて番頭がおかれている場合もあるが,全体の統轄者は惣官・沙汰者といわれた。灯炉供御人の年預が蔵人所小舎人(こどねり)だったように,年預は下級官人が世襲し,惣官は下級の官位を持つ武士的な人々が多いが,精進御薗供御人の惣官は下級の女官,女孺(によじゆ)であり,ときに女性がなる場合もありえた。…
※「年預」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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