一般には〈戦争で負傷して不具者となり,ふたたび戦闘に従事することができなくなった兵〉を意味する。したがって,その起源は戦争の歴史とともに古いといってよい。フランスの廃兵院アンバリッドは17世紀に開設されている。しかし,日本における近代的な意味での廃兵の出現は,服役免除者と死亡者があわせて11万人にのぼった日露戦争以後のこととみるべきであろう。事実,日本で最初の廃兵院が開設されたのは日露戦争後の1906年における廃兵院法公布の翌年,東京渋谷(翌1908年には巣鴨に移転)においてであった。その後傷病のいえた〈廃兵〉をふたたび戦場に送り出す必要があったため,やがて呼び方も〈傷兵〉もしくは〈傷痍(しようい)軍人〉と改められた。第1次大戦後の23年に〈廃兵院〉が〈傷兵院〉と名称を変え,さらに38年に〈傷兵保護院〉が新設されたりしていることが,このことを裏書きしている。
同様のことはアメリカにおいても起こっている。というのも,従来はinvalids(廃兵)という言葉が一般的であったが,1930年に復員軍人庁Veterans Administrationが設置されたころを境に,disabled veteransという言葉が使われるようになっているからである。だが,いずれにしても,このころから戦争の規模はますます大きくなり,それにつれて傷病兵の数も大幅に増加した結果,それぞれの終戦後には,彼らの処遇,とりわけ職業人としての社会復帰をめぐって多くの深刻な社会問題が発生した。とくに第2次大戦の日本では,その数も多く,昭和20年代の初頭に,街頭や列車の中などで,多数の傷痍軍人がアコーディオンを抱えるなどして,いわゆる〈白衣募金〉を行っていた。
執筆者:加藤 秀俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
戦闘または公務により生活能力を失い、軍人恩給法により増加恩給、傷病賜金を受けた傷病兵。日露戦争においては兵器の近代化により3万7000人余の傷病兵が出て社会問題化した。政府は1906年(明治39)4月7日廃兵院法を公布し、廃兵院を開設して、重度の廃兵を国費で終生扶養することで戦意高揚を図った。31年(昭和6)に廃兵は傷痍(しょうい)軍人と改称されるが、この間300人余が廃兵院に収容された。
[滝澤民夫]
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