日本大百科全書(ニッポニカ) 「建設機械工業」の意味・わかりやすい解説
建設機械工業
けんせつきかいこうぎょう
建設作業に使用される機械を生産する工業。工業統計表(経済センサス)では、一体化して建設機械・鉱山機械として分類されている。建設機械は、道路、鉄道、港湾といった社会資本の拡充や、高層建築をはじめとする都市構築物、その他諸設備の建設の推移と密接な関連をもって発展している。つまり、国土開発、治山・治水、建設工事、道路工事等に関連する公共投資、社会資本の充実、民間建設投資の増大を背景に建設機械の生産が拡大している。
第二次世界大戦後、1950年(昭和25)の国土総合開発法、1952年の電源開発促進法(2003年廃止)などによる大型ダム建設が開始された段階では、高性能建設機械は外国から導入されていた。その後しばらくは、土木建設工事の増大は、海外の高性能建設機械に依存せざるをえなかったが、技術導入だけでなく、国産建設機械の研究開発、生産が着実に拡充している。とくに、1953年の港湾整備促進法、1956年の道路整備特別措置法、そして1958年の道路整備五カ年計画、それ以降、1969年の新全国総合開発計画の策定等地域開発に関する公的諸施策が、建設機械工業の市場拡大と技術開発に大きな影響を与えることになる。何より、第一に、輸送交通網の新設、再編成が進み、名神高速、東名高速、中央、東北、中国、九州などの自動車道路の建設、港湾整備、さらに東海道新幹線、山陽新幹線の建設が、次々に継起している。第二に、鉄鋼、石油精製、石油化学を中心とした臨海工業地帯、工業基地の新構築が拡張している。第三に、建築基準法等の改正により都市圏における高層ビルの建設が増大しているのである。以上の諸要因、公的諸施策、輸送交通網の拡充と都市機構の再整備を内容とする一大土木建設事業に工場の新建設が加わり、建設機械の需要が喚起され、建設機械の高度化と目覚ましい生産拡大が生起している。
しかし、1973年のオイル・ショック以降は、総需要抑制策が展開されたこともあり、国内の土木建設工事は大幅に落ち込み、建設工事の重点は産業基盤整備から生活基盤整備へと移行した。当然、建設機械の市場は、縮小している。なお、油圧ショベルを含む掘削機械、建設用クレーン、ブルドーザーを含むトラクター、道路機械等が、主要な建設機械である。1960年代にはブルドーザーが主力機種であったが、1970年代なかばからは油圧ショベルの生産が増大し、大きなウエイトを占めることとなった。1980年代後半の内需拡大策は、建設機械の生産拡大にも一定の影響を及ぼすこととなるが、1990年代、バブル経済崩壊以降、建設機械工業は低迷を続けている。公共投資の減少とも関連し、とくに、1992年(平成4)、1993年、1998年の事業所数、従業者数、生産額の落ち込みは激しかった。一方では、環境、公害、安全、保守、耐震補強関連技術、機械の無人運転の実現のほか、公共工事コスト縮減対策等、新たな課題を担う建設機械の開発が推進されている。
21世紀に突入して、2008年(平成20)ごろまでは、事業所数、従業者数、出荷額とも、増大傾向にあった。2008年の建設機械工業の事業所数は1341、従業者数5万1955人、出荷額は約3兆2285億円であったが、2011年には、それぞれ、1336事業所、5万5929人、2兆8822億円となっている(工業統計調査・従業者4人以上の事業所の数値)。リーマンショックの影響により、事業所数や出荷額が急減していたのであるが、徐々に回復軌道をたどりつつある。なお、21世紀の建設機械工業の特徴は、輸出依存の度合いを強めていることである。2000年段階で輸出は生産の約3割であったが、2003年には国内市場対輸出がほぼ同額となり、2012年には、出荷額の約66%を輸出が占めており、輸出の増加が生産拡大に貢献している(日本建設機械工業会・統計)。アメリカ・キャタピラー社が世界最大の建設機械製造企業であるが、日本では、1000人以上の従業員を有する企業は6社(2011)で、コマツ、日立建機、クボタ、三菱重工、住友重機械工業等が主要建設機械メーカーとして活躍している。各メーカーとも、国際競争力を強化し、アジア、欧米、中近東と世界に輸出をし、海外生産を拡大している。近年においては、中国が世界最大の建設機械市場となってきたが、中国市場が低迷し、他方で、現地企業の技術開発能力、競争力が向上している。部品の内製化を推進する三一重工等中国の地場メーカーの台頭があり、日本の建設機械メーカーは、中国のみでなく他の資源保有国、新興国でインフラ整備事業、鉱山事業にシフトしながらの市場開拓を指向している。
[大西勝明]