荻生徂徠の著書。1717年(享保2)7月成稿。同年彼を訪問した藪震庵,竹田春庵ら宋学者との論戦が執筆の直接原因となった。全部で25条から成り,簡潔な徂徠学概説書といえる。宋学,仁斎学の四書・論孟中心主義を〈義理孤行〉と批判し,みずからは〈物〉=六経と,〈名〉=《論語》《礼記》の統一的把握による古道復元を提唱した。先王による道の作為説,礼楽制作の一点に絞った聖人の定義づけなど,破天荒な主張を展開。安民仁政を道の本意とし,詩書礼楽をその手段の体系としてつかむ。性の善悪の議論よりも個性に基づく後天的学習を重んじ,宋学の気質変化説を批判。またその〈窮理〉の独断性を批判して,〈不言之教〉としての礼(客観規範)を重視した。孔子以後,諸子百家との論争を通じてかえって道の本意があいまい化し,とくに韓退之以降〈文章大変〉,まったく道が不明になったとする。ここに明の李,王の文学理念を換骨奪胎した〈古文辞学〉が経書解釈の方法として主張された。
執筆者:平石 直昭
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荻生徂徠(おぎゅうそらい)による徂徠学誕生を示す宣言書。1巻。1717年(享保2)成立。37年(元文2)刊。「蘐園(けんえん)随筆」をみて接近してきた程朱学徒に対し,自己の新しい立場を示す必要から執筆。25条からなる。安民という政治的価値の強調,聖人による道すなわち礼楽(れいがく)制度の制作説,三代聖人と孔子の連続観,孟子による道の不明確化,老子・程朱学・仁斎学など礼楽(物)を離れて原理を抽象的に説く立場への批判など,徂徠学の基本テーゼがみられる。「日本思想大系」所収。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一つは〈道は知り難く,また言い難し。その大なるがためなり〉(《弁道》),すなわちその限定不可能性。〈道は統名なり〉(《弁名》),すなわちその包括性。…
※「弁道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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