引付(読み)ひきつけ

精選版 日本国語大辞典 「引付」の意味・読み・例文・類語

ひき‐つけ【引付】

〘名〙
① 引き付けること。引っ張ってくること。手引きをすること。また、その人。紹介者。
※東寺百合文書‐る・応永九年(1402)最勝光院方評定引付「尚も御申候者、和弾正左衛門尉に可引付申候」
鎌倉幕府の裁判機関。所領相論を専門に取扱い、引付勘録を作って評定会議に送った。三~五方の部局に分かれ、各々引付頭人一名、引付衆数名(うち二、三名は評定衆兼務)、引付奉行人(右筆)数名で構成された。室町幕府にも置かれたが、一五世紀には衰退した。引付方。
吾妻鏡‐建長二年(1250)九月一〇日「今日被仰引付并問注所政所
③ 後日の証拠や備忘のため書きとどめておく記録や文書。また、寺社で作成された記録。
※書陵部所蔵壬生古文書‐土佐国雑掌紀頼兼主殿寮沙汰人伴守方問注記(年未詳)(承安二年(1172)九月か)「凡は当国納物家信・隆能・為三代長官引付顕然候」
俳諧師などが自分の歳旦帳の末に友人・門人などの句を付録として掲載したこと。また、その句。
※俳諧・延宝六年三物揃(1678)「俳諧惣本寺引付 歳旦
⑤ 遊里などで初会の客に遊女を引き合わせること。また、その客。杯事をするのが例。
※洒落本・粋町甲閨(1779か)「『とんだ事だの馴染か』『なにさ引付さ』」
⑥ 歌舞伎の舞台で、開演中、幕を引きつけてある下手客席から向かって左側)の部分。
※歌舞伎・金幣猿島都(1829)三立「トド鹿は幕の引附(ヒキツ)けへ入る」
※雑俳・柳多留‐一四六(1838‐40)「烏芋もくちなし引(ひキ)付の硯蓋
駒下駄の一種。男物は白桐・焦桐(やきぎり)を材に、女物は白木あるいは漆塗りで、いずれも表をつけたもの。引付下駄。〔随筆守貞漫稿(1837‐53)〕
⑨ 発作性の痙攣(けいれん)。特に、小児の全身性痙攣をさす場合が多い。
病院の窓(1908)〈石川啄木〉「顔面には例の痙攣(ヒキツケ)が起ってピクピク顫へて居た」

ひっ‐つ・く【引付】

[1] 〘自カ五(四)〙 (「ひっ」は接頭語)
① ぴったりとつく。ねばりつく。くっつく。粘着する。
※漢書列伝竺桃抄(1458‐60)王貢両龔鮑第四二「竹にひっついてうすやうのやうなものがあるを葭莩と云り」
※天理本狂言・止動方角(室町末‐近世初)「馬にひっついて、あとからこいと云」
② 男女が親密にする。また、男女が密通する。なれ合って夫婦になる。
※唐詩選国字解(1791)七言古「鴛鴦の雌雄はなれぬ如く、ひっついて側をはなれぬ」
[2] 〘他カ下二〙 ⇒ひっつける(引付)

ひっ‐つ・ける【引付】

〘他カ下一〙 ひっつ・く 〘他カ下二〙 「ひきつける(引付)」の変化した語。
※金刀比羅本保元(1220頃か)中「あますな、もらすな。かひつかんでひっ付(ツケ)、頸ねぢ切、八割(やつさき)にさいてすてん」

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改訂新版 世界大百科事典 「引付」の意味・わかりやすい解説

引付 (ひきつけ)

(1)中世社会で後日のために先例となる事例を書き留めたり,証拠となる文書等を書写し集めたもの。《貞丈雑記》には,〈引は後日の証拠に引用る為に書き留む也。付とは記し付る也〉とある。

 形式的には,ある機関や組織における評定記録のような日次記(ひなみき)の形をとる場合と,同じく発給した文書あるいは受け取った文書を日付順に写し集めたものがある。いずれも後日に備えて,運営上の先例となる事例等の記録となり,ときには照会・点検の原簿となるよう,当事者がその職務遂行の過程で作成したものである。様式的には,たとえば《東寺百合文書》の〈廿一口方供僧評定(にじゆういつくかたぐそうひようじよう)引付〉は,東寺寺内の供僧の自治組織のひとつ〈廿一口方〉において開催された評定の記録であるが,年預の僧が執筆し,評定出席僧の交名(きようみよう)を掲げ,当日の議事を記載している。また室町幕府の〈政所賦銘(まんどころくばりめい)引付〉は,政所へ提訴された訴訟について,担当者が受理した訴状を書き留め,訴状に加えられた銘(端裏銘)と同文の記事を引付に記載している。さらに興福寺の〈御挙状等執筆(ごきよじようとうしゆひつ)引付〉は,興福寺から訴え出た訴状の挙達,および僧事の補任推挙に関する挙状を書き留めたものである。機能的には,《東寺百合文書》の場合,原文書と,その文書の関連記事とともに引付に書写されている文書控(案)があり,文書の発給あるいは受理の経過を引付の記事が証明する。また賦銘引付では,訴状の原文書の端裏銘と,引付の記事との照合により訴訟進行手続がわかり,興福寺の挙状執筆引付の場合には,引付所載の各挙状控(案)の宛所によって,寺内外の事実関係が確かめられる。

 一般に文書は,所定の目的をはたすために差出人から宛所へ機能するものであるが,引付も,引付の記事そのものが,照会あるいは同定の作業という他者へ働きかける機能をもち,たんなる備忘録や日記の域をこえた,きわめて文書に近い役割をはたすものである。
執筆者:(2)鎌倉・室町両幕府の裁判機関。引付方の略称。名称の由来は,幕府の評定会議に提訴された訴状や会議の議事録を書き留めた書類を引付といったことにちなむのであろう。1249年(建長1),引付書類を執筆する奉行人と訴訟案件の責任者(評定衆)を中心に,評定会議の下での裁判機構として成立したのを始まりとする。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「引付」の意味・わかりやすい解説

引付
ひきつけ

鎌倉幕府の執権,北条時頼が訴訟裁判の審理を慎重にし,かつ,その敏速をはかるために建長1 (1249) 年に設けた制度で,室町幕府にも引継がれた。引付は数方 (方はの意) に分れ,1方を単位として訴訟事件 (おもに土地関係) を円滑,公平に審理させるもので,現代の裁判所の部にあたる。1方の引付は,若干の評定衆および引付衆 (のちに内談衆) から成る。引付の番数は,3方,5方,8方など時期によって異なる。引付では審理し,判決草案を作るが,その草案は評定衆により評定会議で可決された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「引付」の解説

引付
ひきつけ

原義は引照する,参考とする,の意。転じて,のちの参考のために手控えを作成すること,また手控えそのものをいう。その手控えは(1)多く寺社などで作成された日々の出来事の記録,(2)作成した文書について発給した側で残しておく手控えに大別される。鎌倉・室町両幕府の訴訟審理機関としての引付の称は,関係資料や記録を作成・管理し訴訟審理に用いることからきたと考えられる。鎌倉幕府では,裁判の迅速化を目的として1249年(建長元)に設置され,引付衆が3~7の番にわかれて順次訴訟を担当,奉行人を指揮して相論の審理にあたり,結果を評定の場に上申した。室町幕府も当初この制をおいたが,応永初年(14世紀末)には廃絶した。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「引付」の解説

引付 (ヒツツキ)

植物。キク科の一年草。センダングサの別称

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世界大百科事典(旧版)内の引付の言及

【賦】より

…この手続を担当する役人は賦奉行であるが,単に賦とも呼ばれた。鎌倉幕府は訴訟制度を発達させたが,執権北条時頼の時代には,訴訟専門の審理機関として引付(ひきつけ)が設けられた。これは若干名の引付衆と若干名の奉行人とから成るチームで,〈一番引付〉〈二番引付〉などと呼ばれ,その数は時代によって変化があった。…

【引付方】より

…鎌倉・室町両幕府の裁判機関。単に引付ともいう。1249年(建長1)12月9日に初めて置かれた機関で,三~五方の部局に分かれ,所領相論を中心とする裁判を担当した。…

【六波羅探題】より

…次に西国の政務や裁判がある。文永(1264‐75)前後から諸機関の整備が進められ,1267年までに評定衆(ひようじようしゆう),78年までに引付(ひきつけ)ができ,97年までには五方引付が成立している。所務沙汰(しよむざた),雑務沙汰は,鎌倉末まで引付が担当していたが,はじめは探題の権限が強く,引付を中心とする裁判が確立したのは1300‐08年(正安2‐延慶1)ころであった。…

※「引付」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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