ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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1938年(昭和13)ソ満東部国境で起こった日ソ両軍の衝突事件。ソ連と「満州国」、朝鮮が国境を接する張鼓峰の小丘陵地帯の帰属は、かねて日ソ間の懸案であったが、同年7月ソ連軍が山頂に陣地工事を始めると、参謀本部はソ連軍に対する威力偵察の目的で武力発動を策した。しかし閣内や宮廷グループに反対が強く、7月20日板垣征四郎(せいしろう)陸相の応急動員下令の上奏に天皇は裁可を与えなかった。しかし国境に集結していた第19師団は大本営、朝鮮軍の制止を無視し、30日独断でソ連軍を攻撃、圧倒的な火力、機動力によるソ連軍の反撃を受けて多大の損害を出した。8月4日モスクワで日ソ間の交渉が再開され、11日停戦協定の調印により事件は落着した。
[鈴木隆史]
『藤原彰著『日中全面戦争』(『昭和の歴史5』1982・小学館)』
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…36年11月25日の日独防共協定の締結はソ連を恐怖させた。37年7月日本は日中戦争を起こし,侵略の方向を南にとったが,その後に,38年7月には朝ソ国境で張鼓峰事件,39年5~8月には満州・モンゴル国境でノモンハン事件と,2度にわたりソ連軍との本格的衝突を起こした。このうち,とくに後者において日本軍はソ連軍の機甲兵力の前に完敗した。…
※「張鼓峰事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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