彦根(市)(読み)ひこね

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

彦根(市)
ひこね

滋賀県中東部、琵琶(びわ)湖東岸にある市。1937年(昭和12)彦根町と松原、青波(あおなみ)、北青柳(きたあおやぎ)、福満(ふくみつ)、千本(ちもと)の5村が合併して市制施行。1956年(昭和31)河瀬(かわせ)、亀山(かめやま)の2村、1957年高宮(たかみや)町、1968年稲枝(いなえ)町を編入。市域の大部分は芹(せり)川、犬上(いぬかみ)川、宇曽(うそ)川、愛知(えち)川によって形成された沖積平野であるが、彦根山などの秩父中・古生層の丘も散在する。JR東海道本線(琵琶湖線)、近江鉄道(おうみてつどう)本線、国道8号、306号、名神高速道路が通じ、彦根インターチェンジがある。開発の歴史は古く、縄文・弥生(やよい)・古墳時代の遺跡も多く、また平野上には広範な条里地割が施行され、古代末期以降は荘園(しょうえん)も置かれた。16世紀には佐和山城を中心として激しい攻防が繰り返されたが、関ヶ原の戦いと佐和山城の陥落後、1601年(慶長6)井伊直政(なおまさ)が佐和山に封ぜられるに及んでようやくこの地にも平安が訪れた。直政は城を佐和山から磯山(いそやま)に移そうとしたが病没によって果たせず、その子の直継(なおつぐ)が湖水に面し三方を平地に囲まれた彦根山(金亀(こんき)山)へ移築を決めた。工事は1603年(慶長8)から1622年(元和8)まで2期にわたって完成をみた。以後彦根藩35万石の城下町として栄えたが、その背後には中山道(なかせんどう)の宿場町(高宮、鳥居本(とりいもと))や松原湊(みなと)などに象徴されるような恵まれた交通的位置があったことはいうまでもない。湖北・湖東地方の中心地としての位置は現在もなお継承されているが、近年実施された彦根駅前の区画整理事業などによって、その商業的機能はますます高まっている。伝統的な繊維工業もあり、市内には紡績、織物関係の工場が立地し、セメント、バルブ、コック、機械などの近代工業もある。さらに特色あるものとして仏壇製造業も盛ん。市内には滋賀大学や滋賀県立大学、聖泉大学のキャンパスがある。彦根城跡は特別史跡、玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)は国名勝指定で、国宝の彦根城天守に連なる付櫓(つけやぐら)、多聞(たもん)櫓や、紙本金地着色風俗図(彦根屏風(びょうぶ))のほか、国指定重要文化財も多い。彦根城表御殿を復元した彦根城博物館もある。また湖岸一帯は琵琶湖国定公園域で、水泳場や琵琶湖めぐりの観光船の乗り場もある。面積は196.87平方キロメートル、人口11万3679(2015)。

[高橋誠一]

『『彦根市史』全3巻(1960~1964・彦根市)』『『高宮町史』復刻版(1986・臨川書店)』『『新修彦根市史』全12巻(2001~ ・彦根市)』


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