日本歴史地名大系 「後野村」の解説
後野村
うしろのむら
後野村
うしろのむら
慶長検地郷村帳に高五八六・六七石「後野村」とみえる。延宝九年(一六八一)の延高で八一四石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領。
幕末期の戸口は一八七軒、九一八人(与謝郡誌)。うち百姓七二軒、水呑一〇四軒で加悦谷の村々のうちで水呑の絶対数および比率が最も高い。
享和三年(一八〇三)御領分縮緬屋御鑑札御改帳(「丹後加悦町誌」所引)によれば、後野村は機数一二〇、ほかに帯二機で、その機数からいえば
後野村
のちのむら
後野村
うしろのむら
後野村
うしろのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報