中国、清(しん)末から民国にかけての政治家。天津(てんしん)生まれ。清末、東三省総督、参謀総長、清廷最高顧問を歴任。1911年の辛亥(しんがい)革命後、清の遺老として退位後の宣統帝の師傅(しふ)となった。民国成立後の1914年、袁世凱(えんせいがい)の推挙により国務総理となったが、翌1915年、袁の帝政計画に反対して辞職。1918年、安徽(あんき)派、奉天派軍閥に推されて大総統に就任し、南方派(革命派)との和議を策したが成功しなかった。五・四運動では民衆運動を抑圧した。1922年、奉直戦争で奉天派が敗れて辞任し、それ以後は故郷の天津に閉居した。
[安藤彦太郎]
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…10世紀以後,政府によって公認された特定の史書に正史の名が冠せられ,司馬遷の《史記》にはじまり欧陽修の《五代史記》に至る歴代17種の紀伝体歴史書を十七史とした。正史の数は時代が下るにつれ増え,明代二十一史,清では二十二史となったが,乾隆以後,《旧五代史》《旧唐書》を加えて二十四史,1922年大総統徐世昌は柯劭忞(かしようびん)の《新元史》を入れて二十五史とした。最近の中国では《清史稿》も正史に準じて扱っている。…
※「徐世昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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