御史大夫(読み)ギョシタイフ

デジタル大辞泉 「御史大夫」の意味・読み・例文・類語

ぎょし‐たいふ【御史大夫】

中国官名。秦漢時代は三公の一。御史筆頭で、大臣を補佐する国政参議官。後、御史台長官
大納言の古い呼び名。
弾正尹だんじょうのかみ弾正台の長官)の唐名

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精選版 日本国語大辞典 「御史大夫」の意味・読み・例文・類語

ぎょし‐たいふ【御史大夫】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国の官名。秦漢時代、御史の筆頭で、大臣を補佐する国政参議官。その後は御史台の長官として御史を率いた。〔新板職原抄大全(1659)〕
  3. 大納言の古称または別称
    1. [初出の実例]「石川石足朝臣長子御史大夫正三位兼行神祇伯年足朝臣」(出典:年足神社蔵石川朝臣年足墓誌‐(天平宝字六年(762)一二月))
  4. 弾正(だんじょう)の尹(かみ)の唐名。
    1. [初出の実例]「弾正尹 〈略〉御史大夫、御史尚書」(出典:拾芥抄(13‐14C)中)

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改訂新版 世界大百科事典 「御史大夫」の意味・わかりやすい解説

御史大夫 (ぎょしたいふ)

官名。御史とは語源的には君主側近の書記であるが,漢代以降監察官の名となり,その役所を御史台といい,長官を御史大夫という。唐制では従三品。尚書省の六部尚書,門下省の侍中,中書省の中書令がいずれも正三品であるのとほぼ対等の位階をもち,百官の非違を糾弾する職責に任じた。御史台は日本の律令では弾正台となり,中国でも明・清時代には都察院という名称に変わった。
執筆者:

天智天皇の時代には大臣の次に置かれた官職名。671年(天智10)1月に蘇我果安巨勢人紀大人が任じられた。近江令での大納言の官名とする説もある。次に養老令施行下の淳仁天皇時代の大納言の官名。758年(天平宝字2)8月に行われた官名改称に伴い,大納言が御史大夫と唐風に改められた。しかし藤原仲麻呂が失脚すると764年9月旧名に復した。平安以降になると,漢代に丞相(大臣に当たる)の下に置かれた御史大夫が先例で,天智,淳仁天皇時代の御史大夫が根拠となって大納言の唐名として用いられた。また唐代に刑憲典章をつかさどった御史台の長官を御史大夫といったことにより,弾正台長官の尹(かみ)の唐名として用いられ,江戸時代には大目付の唐名ともなった。
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御史大夫」の解説

御史大夫
ぎょしたいふ

中国では,秦・漢代の副丞相である御史府長官の御史大夫と,隋・唐代の官人の非違を正す御史台長官の御史大夫があった。天智朝の御史大夫は前者にならった官であり,弾正尹(いん)の唐名を御史大夫というのは後者にもとづくものである。671年(天智10)太政大臣・左右大臣とともに蘇我果安(はたやす)・巨勢人(こせのひと)・紀大人(きのうし)が御史大夫に任じられており,これが令制の大納言に発展したと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御史大夫」の意味・わかりやすい解説

御史大夫
ぎょしたいふ

中国の官名で、三公(さんこう)の一つ。

[編集部]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「御史大夫」の解説

御史大夫(ぎょしたいふ)

中国における御史の長官。監察,弾劾をつかさどった。秦代に置かれ,前漢末に大司空と改称,後漢以後御史台長官の役は御史中丞(ちゅうじょう)があたり,唐と元では御史大夫が復置された。明清では都御史と呼んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「御史大夫」の解説

御史大夫
ぎょしたいふ

中国の御史台(官吏監察機関)の長官
戦国時代には史官の名であり,秦代には御史大夫は副宰相兼監察官,漢代には実質的な宰相であった。隋・唐代には名実ともに御史台の長官となり,宋代には御史中丞,遼・金・元では御史大夫と呼ばれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御史大夫」の意味・わかりやすい解説

御史大夫
ぎょしたいふ

大納言」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の御史大夫の言及

【御史台】より

…中国,戦国時代,御史は王に直属する書記官(史官)で,秦・前漢では皇帝に属する秘書官であった。長官は御史大夫で副丞相となり,政策の細目を立案し,御史丞が御史30人をひきい,御史大夫寺にあってこれを助けた。別に御史中丞が15人の侍御史をひきい,殿中蘭台にあって秘書を管理し,殿中で百官を監察し,武帝時代(在位,前140‐前87)に部刺史がおかれるとこれを統轄して監察官の性格が強くなった。…

【大納言】より

…大宝令では定員4名,正三位相当官の公卿で,職田20町,食封800戸,従者として資人100人が給された。制度上の初見は天智朝の官制のときで,初め御史大夫(ぎよしたいふ)と称した。定員は時代によって増減があり,権官の任命も行われた。…

※「御史大夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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