官名。御史とは語源的には君主側近の書記であるが,漢代以降監察官の名となり,その役所を御史台といい,長官を御史大夫という。唐制では従三品。尚書省の六部尚書,門下省の侍中,中書省の中書令がいずれも正三品であるのとほぼ対等の位階をもち,百官の非違を糾弾する職責に任じた。御史台は日本の律令では弾正台となり,中国でも明・清時代には都察院という名称に変わった。
執筆者:滋賀 秀三
天智天皇の時代には大臣の次に置かれた官職名。671年(天智10)1月に蘇我果安,巨勢人,紀大人が任じられた。近江令での大納言の官名とする説もある。次に養老令施行下の淳仁天皇時代の大納言の官名。758年(天平宝字2)8月に行われた官名改称に伴い,大納言が御史大夫と唐風に改められた。しかし藤原仲麻呂が失脚すると764年9月旧名に復した。平安以降になると,漢代に丞相(大臣に当たる)の下に置かれた御史大夫が先例で,天智,淳仁天皇時代の御史大夫が根拠となって大納言の唐名として用いられた。また唐代に刑憲典章をつかさどった御史台の長官を御史大夫といったことにより,弾正台長官の尹(かみ)の唐名として用いられ,江戸時代には大目付の唐名ともなった。
執筆者:山本 信吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国では,秦・漢代の副丞相である御史府長官の御史大夫と,隋・唐代の官人の非違を正す御史台長官の御史大夫があった。天智朝の御史大夫は前者にならった官であり,弾正尹(いん)の唐名を御史大夫というのは後者にもとづくものである。671年(天智10)太政大臣・左右大臣とともに蘇我果安(はたやす)・巨勢人(こせのひと)・紀大人(きのうし)が御史大夫に任じられており,これが令制の大納言に発展したと考えられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
中国の官名で、三公(さんこう)の一つ。
[編集部]
中国における御史の長官。監察,弾劾をつかさどった。秦代に置かれ,前漢末に大司空と改称,後漢以後御史台長官の役は御史中丞(ちゅうじょう)があたり,唐と元では御史大夫が復置された。明清では都御史と呼んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国,戦国時代,御史は王に直属する書記官(史官)で,秦・前漢では皇帝に属する秘書官であった。長官は御史大夫で副丞相となり,政策の細目を立案し,御史丞が御史30人をひきい,御史大夫寺にあってこれを助けた。別に御史中丞が15人の侍御史をひきい,殿中蘭台にあって秘書を管理し,殿中で百官を監察し,武帝時代(在位,前140‐前87)に部刺史がおかれるとこれを統轄して監察官の性格が強くなった。…
…大宝令では定員4名,正三位相当官の公卿で,職田20町,食封800戸,従者として資人100人が給された。制度上の初見は天智朝の官制のときで,初め御史大夫(ぎよしたいふ)と称した。定員は時代によって増減があり,権官の任命も行われた。…
※「御史大夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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