御史台(読み)ギョシダイ(英語表記)Yù shǐ tái

デジタル大辞泉 「御史台」の意味・読み・例文・類語

ぎょし‐だい【御史台】

中国の、御史大夫長官とした官吏監察官庁。官僚の弾劾を取り扱った。後漢に成立し、代まで続き、では都察院とよばれた。
弾正台だんじょうだい唐名

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精選版 日本国語大辞典 「御史台」の意味・読み・例文・類語

ぎょし‐だい【御史台】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国、御史大夫を長官とした監察官庁の名。官僚の弾劾を取り扱った。後漢に成立し、宋代まで続き、明・清では都察院と呼ばれた。
    1. [初出の実例]「唐土にて御史台に太夫ををかず、中亟を長官とせし時もあり」(出典:随筆・孔雀楼筆記(1768)四)
  3. 弾正台(だんじょうだい)の唐名。
    1. [初出の実例]「弾正尹 弾正台、正台、御史台、粛正台」(出典:拾芥抄(13‐14C)中)

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改訂新版 世界大百科事典 「御史台」の意味・わかりやすい解説

御史台 (ぎょしだい)
Yù shǐ tái

中国,戦国時代,御史は王に直属する書記官(史官)で,秦・前漢では皇帝に属する秘書官であった。長官は御史大夫で副丞相となり,政策の細目を立案し,御史丞が御史30人をひきい,御史大夫寺にあってこれを助けた。別に御史中丞が15人の侍御史をひきい,殿中蘭台にあって秘書を管理し,殿中で百官を監察し,武帝時代(在位,前140-前87)に部刺史がおかれるとこれを統轄して監察官の性格が強くなった。後漢初,光武帝官制改革を行って機構を簡素化し,皇帝の秘書官は武帝時代におこった尚書が担当し,御史大夫は三公の一つたる大司空となって御史中丞が残り,もっぱら監察の任に当たり,尚書令とともに少府に属した。その役所を御史台(蘭台寺)と呼んだ。六朝時代には南台とも称し,北周には司憲属秋官府,唐の高宗のときに憲台,則天武后のときには粛政台と改めたことがある。唐・宋時代には侍御史がいて百官の糾察に当たる台院,殿中侍御史がいて殿廷供奉の儀式をつかさどる殿院,監察御史がいて州県を巡察した察院の3院に分かれた。遼以後は御史中丞を御史大夫に改めたこともある。元代に入ると3院を察院中心にあわせたが,明・清代では御史台を廃して都察院を置いた。また元代に中央の御史台に対し地方に置いた行御史台は,後世総督巡撫制へと変転した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御史台」の意味・わかりやすい解説

御史台
ぎょしだい

旧中国の監察をつかさどる官庁で、今日の日本の検察庁に相当する。その権能は甚だ強大で多くの官吏にとって恐怖の的となった。秦(しん)・漢時代の御史大夫(たいふ)は三公(さんこう)の一人で行政の中枢に位置したが、後漢(ごかん)時代に官庁組織が整い、御史中丞(ちゅうじょう)を長官とする御史台が確立した。唐代には台院、殿院、察院の3部局を統(す)べ、それぞれに侍御史、殿中侍御史、監察御史が所属した。元代には地方に行御史台を設け、明(みん)初に御史台は廃されて都察院がその役割を引き継ぎ、清(しん)朝に及んだ。明・清の各省長官総督、巡撫(じゅんぶ)も御史の肩書を帯び、専制支配の耳目として御史は重視された。民国の孫文(そんぶん/スンウェン)の五権(立法、行政、司法、考試、監察)政体の一環をなす監察院も、御史台の伝統に連なるものである。日本の律令(りつりょう)制の弾正台(だんじょうだい)にあたる。

[池田 温]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御史台」の意味・わかりやすい解説

御史台
ぎょしだい
Yu-shi-tai; Yü-shih-t`ai

中国の官制。戦国時代の御史は王の側近の官であったが,のちに監察を司った。その長官である御史大夫は前漢では丞相太尉と並んで三公と呼ばれ,副丞相の地位にあった。官庁は御史大夫寺または御史府と呼ばれて,中央・地方官の監察糾弾にあたった。後漢では御史大夫は司空となって監察とは無関係になったので,代って御史中丞を長官とする御史台がおかれることになった。隋・唐時代にはその長官は御史大夫となり,唐の御史台の下には台院,殿院,察院があり,それぞれ侍御史,殿中侍御史,監察御史が配された。明,清では都察院がこれに代った。

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百科事典マイペディア 「御史台」の意味・わかりやすい解説

御史台【ぎょしだい】

中国の官吏監察機関。戦国時代には君主の側に控える史官であったが,秦の始皇帝は官制を行政・軍事・監察に分け,監察の長官を御史大夫(たいふ)といった。前漢もほぼこれをうけたが,後漢で初めて御史台の名が用いられ,その長官を御史中丞といった。御史中丞以下の御史は中央の諸官を監察糾弾することを任務とし,刺史をして地方官を監察させた。隋では長官は再び御史大夫となり,唐の御史台には台院・殿院・察院があって,それぞれに侍御史・殿中侍御史・監察御史が配属された。宋朝はこれをうけ,明・清では都察院といった(長官は都御史)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「御史台」の解説

御史台
ぎょしだい

中国の官吏監察機関
秦の始皇帝は官制を行政・軍事・監察の三権に分け,監察の長官を御史大夫といった。御史台の名は,後漢 (ごかん) から始まるが,秦・漢代には,御史大夫の下に御史があり,御史台の前身であった。唐の御史台には台院(監察),殿院(供奉の儀式),察院(地方の巡察)が属した。明以後は都察院と呼ばれた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「御史台」の解説

御史台(ぎょしだい)

中国の官吏監察機関。前漢では御史府といい,御史台の称は後漢に始まる。唐代にその組織が整備され,明では都察院と呼んだ。民国の粛政院(しゅくせいいん),国民政府の監察院はこの系統の機関である。

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世界大百科事典(旧版)内の御史台の言及

【御史大夫】より


[中国]
 官名。御史とは語源的には君主側近の書記であるが,漢代以降監察官の名となり,その役所を御史台といい,長官を御史大夫という。唐制では従三品。…

【元】より

… 漢地を基盤とする元朝の政治組織は,整備した中国的中央集権官制を採用して前代を一新した。中央に行政,軍政,監察を総括する中書省(正一品),枢密院(従一品),御史台(従一品)を設けて政府の中枢とし(以外に九寺五監の制度を変形した大宗正府,太常礼儀院,太僕寺,太府監,将作監,宣徽院,中政院など多数の内務府系統の官府があるが,すべて宮廷関係の庶務を執行するものであって統治には直接に関わらない),その直属下部機関を地方に分置して全国を覆う統治網とする。ただこの間モンゴル,ウイグル,チベット人を専管する大宗正府,都護府,宣政院が上記3衙門にほぼ匹敵する従一品・従二品の高級官府として中央に備わるのは,大型征服王朝としての元朝にいかにもふさわしい。…

【三司】より

…三公でないものが三公の礼遇をうけることを,位亜三司,班同三司,儀同三司などと称し,とくに重いものを開府儀同三司と称した。(2)唐代では司法に関する三つの衙門たる刑部,御史台,大理寺を三司と称した。刑部はいわば法務省で,大理寺は最高裁判所,御史台は最高検察庁である。…

【都察院】より

…中国,明・清時代の政務監察機関。後漢以来,監察司法の事に任ずる中央官庁として御史台があったが,1382年(洪武15)これを改めて都察院とし,左右都御史,左右副都御史,左右僉都御史,監察御史などの官を設けた。監察機関としては六部(行政),五軍都督府(軍事)と並んで三権分立の体制をとり,司法機関としては刑部,大理寺とともに三法司という。…

※「御史台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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