日本歴史地名大系 「志布志城跡」の解説
志布志城跡
しぶしじようあと
志布志湾に注ぐ
「志布志旧記」は鎌倉期以来地頭島津氏を城主とするが、確認できない。建武三年(一三三六)一月二九日、南朝方肝付氏与党の守る「救仁院志布志城」が北朝方の大隅国御家人重久篤兼らにより攻略された(同年二月日「重久篤兼軍忠状」旧記雑録)。この志布志城は松尾城のことで、この合戦の直前に築城されたと思われる。築いたのは楡井四郎頼仲とも伝える。楡井氏は信濃国
その後松尾城には島津氏久の養子に準ずる新納実久が入った(山田聖栄自記)。当時大隅守護であった奥州家の島津氏久と三条泰季は足利直冬方にくみしていたため、足利尊氏方の日向守護畠山直顕は自ら松尾城の実久を攻めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報