快楽亭ブラック(読み)カイラクテイ ブラック

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「快楽亭ブラック」の解説

快楽亭 ブラック(初代)
カイラクテイ ブラック


職業
落語家

本名
ブラック ヘンリー・ジェームズ〈Black Henry James〉

別名
本名=石井 ブラック

生年月日
1858年 12月22日

出生地
オーストラリア・アドレイド

経歴
江戸末期の慶応元年(1865年)両親と共にオーストラリアから来日、横浜に住む。父親のジョン・レディ・ブラックは横浜で「ジャパン・ヘラルド」などを発刊、日本の新聞界に大きな影響を与えたジャーナリスト。自身は落語講談に興味を持ち、明治12年20歳の時横浜・馬車道の清竹亭で初演。両親の猛反対を押し切って、26歳の時初代三遊亭円朝一門に入り、「ジャンヌ・ダルク伝」など西洋小説の翻案物の噺をして名をあげ、数年後には真打ちまで昇進。24年快楽亭ブラックと称し、26年日本に帰化。羽織はかまやフロックコート寄席に上がり、達者な江戸っ子口調で演じ、当時第一人者だった三遊亭円朝と並ぶほどの人気者となった。36年落語や浪曲レコードに吹き込み、これが日本最初のレコードとなった。毎年9月落語関係者らによって墓前祭“快楽忌”が行われる。

没年月日
大正12年 9月19日 (1923年)

家族
父=ブラック ジョン・レディ(ジャーナリスト)

伝記
日本を愛した外国人たちわが愛しの芸人たち明治の探偵小説すごいけど変な人×13決定版 快楽亭ブラック伝快楽亭ブラック―忘れられたニッポン最高の外人タレント落語家―懐かしき人たち 内藤 誠,内藤 研 共著吉川 潮 著伊藤 秀雄 著唐沢 俊一 著,ソルボンヌK子 漫画小島 貞二 著イアン・マッカーサー 著,内藤 誠,堀内 久美子 共訳興津 要 著(発行元 講談社インターナショナル河出書房新社双葉社サンマーク出版恒文社講談社旺文社 ’09’03’02’01’97’92’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「快楽亭ブラック」の意味・わかりやすい解説

快楽亭ブラック(1世)
かいらくていブラック[いっせい]

[生]1858.12.22. オーストラリア,アデレード
[没]1923.9.19. 東京
オーストラリア生まれの落語家,探偵小説家。本名 Henry James Black。イギリス国籍,のち日本に帰化。1860年頃,父ジョン・レディ・ブラックが訪日。数年後,ヘンリーも訪日する。父は『日新真事誌』という日本語の新聞を発行していたが,政府の圧力廃刊となり中国の上海へ移る。ヘンリーは日本に残り,1876年西洋手品師となる。その後アメリカ合衆国のシアトルへ渡るが,1878年再び訪日,演説会などに出演する。講談の 2世松林伯円の知遇を得,横浜の寄席に出演し『チャールズ1世伝』『ジャンヌ・ダルク伝』などを読み本格的に芸人となる。その後,英語教師や探偵小説の作家などを経て,1891年三遊派に入り,快楽亭ブラックを名のる。イギリスの人情噺を語り,「べらんめえ」の外国人として人気を博す。1903年,イギリスの会社グラモフォン&タイプライターが日本で円盤式レコードを録音した際,邦楽演奏家,落語家らを多数斡旋,4世橘家円喬,3世柳家小さんらの肉声を残したのはブラックの功績である。三遊派の真打ちとして活躍,探偵小説家としても作品を残しているが,晩年は不遇で地方巡りなどをしていたという。(→落語

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20世紀日本人名事典 「快楽亭ブラック」の解説

快楽亭 ブラック(1代目)
カイラクテイ ブラック

明治・大正期の落語家



生年
1858年12月22日

没年
大正12(1923)年9月19日

出生地
オーストラリア・アドレイド

本名
ブラック ヘンリー・ジェームズ〈Black Henry James〉

別名
日本名=石井 ブラック

経歴
江戸末期の慶応元年(1865年)両親と共にオーストラリアから来日、横浜に住む。父親のJ.R.ブラックは横浜で「ジャパン・ヘラルド」などを発刊、日本の新聞界に大きな影響を与えたジャーナリスト。自身は落語や講談に興味を持ち、明治12年(1879年)20歳の時横浜・馬車道の清竹亭で初演。両親の猛反対を押し切って、26歳の時初代三遊亭円朝一門に入り、「ジャンヌ・ダルク伝」など西洋小説の翻案物の噺をして名をあげ、数年後には真打ちまで昇進。24年快楽亭ブラックと称し、26年日本に帰化。羽織はかまやフロックコートで寄席に上がり、達者な江戸っ子口調で演じ、当時第一人者だった三遊亭円朝と並ぶほどの人気者となった。36年落語や浪曲をレコードに吹き込み、これが日本最初のレコードとなった。毎年9月落語関係者らによって墓前祭“快楽忌”が行われる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「快楽亭ブラック」の解説

快楽亭ブラック

没年:大正12.9.19(1923)
生年:1858.12.22
明治期に活躍した落語家。本名,ヘンリー・ジェームズ・ブラック。日本名,石井ブラック。ジョン・ブラックとエリザベスの長男として,オーストラリアのアデレードに生まれる。慶応1(1865)年,週刊新聞『ジャパン・ヘラルド』の主筆として招かれた父を追って,母と共に日本に移住する。明治11(1878)年,講釈師の2代目松林伯円と出会い,講談の稽古をして,芸人としての道を歩むことになる。26歳のときに三遊亭円朝や3代目三遊亭円生の三遊派に入り,「ジャンヌ・ダルク伝」など西洋小説の翻案物の噺をして,落語家として名をあげた。創作の噺も行い,「岩出銀行血汐の手形」という指紋を使った犯人捜査の噺は大人気を博し,出版もされた。同29年,日本初といわれる催眠術の公開実験をし,こののちも催眠術や奇術を高座で行い,多芸多才な芸人として活躍した。同36年には,落語をレコードに吹きこみ,日本初のレコード録音をしている。“ヘンな外人”のパイオニアといえる人物である。<参考文献>イアン・マッカーサー『快楽亭ブラック』(内藤誠・堀内久美子訳)

(川村邦光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「快楽亭ブラック」の解説

快楽亭ブラック かいらくてい-ブラック

1858-1923 明治時代の落語家。
1858年12月22日オーストラリア生まれ。J.R.ブラックの長男。8歳のころ来日,明治11年2代松林伯円の勧めで芸人の道へ。政談,講談で知られ,24年からは三遊派に属し,べらんめえ口調の青い目の落語家として人気をあつめる。36年日本最初のレコードをふきこむ。大正12年9月19日死去。66歳。日本名は石井貌剌屈。旧名は Henry James Black。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「快楽亭ブラック」の解説

快楽亭 ブラック (かいらくてい ぶらっく)

生年月日:1858年12月22日
明治時代;大正時代の落語家
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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