1872年創刊の日刊新聞。東京の貌剌屈(ブラツク)社より発行。社主兼主筆はイギリス人J.R.ブラックで,The Reliable Daily Newsの訳を題号としたものである。当初の数ヵ月分はツゲ製の木活字版,その後は鉛活字を使用している。ヨーロッパの新聞と同一水準にあると彼が自負しているように,既存の《横浜毎日新聞》や《新聞雑誌》よりは完成度の高い大新聞(おおしんぶん)であった。左院の機関紙の扱いを受け,外国人の特権を利して忌憚のない論陣を展開し人気を博したが,73年の財政意見書の公表などで政府に喜ばれず,75年の新聞紙条例で外国人社主が禁じられたことにより廃刊に追い込まれた。翌76年,ブラックは禁を犯して《万国新聞》を創刊したが,イギリス政府の意向を受け1号限りで断念している。
執筆者:平井 隆太郎
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1872年(明治5)3月16日、イギリス人ブラックJohn Reddie Blackが東京で創刊した日刊紙。初め1か月ほどは隔日刊であったが、内外のニュース、出入船舶表、相場表、論説、広告を掲載する堂々たる新聞で、7月には政府買上げ紙(各府県へ渡す)、11月7日には左院御用(議事録などの掲載紙)の特典を与えられた。しかし73年5月7日、井上馨(かおる)、渋沢栄一の「財政意見書」、74年1月18日には板垣退助らの「民撰(みんせん)議院設立建白書」を特報するなど政治事件をスクープするようになったため、政府はブラックを太政官(だじょうかん)顧問に任じて新聞から手を引かせた(その後、新聞紙条例を改正、外国人が日本の新聞の持ち主になることを禁じた)結果、75年12月5日廃刊となる。
[春原昭彦]
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1872年(明治5)3月17日,イギリス人ブラックが東京で創刊した邦字新聞。特許をえて,太政官左院の議事や建白書を掲載した。74年1月には,板垣退助らの民撰議院設立建白書をいち早く掲載。その後政府はブラックを左院に雇用して経営から手をひかせ,さらに新聞紙条例改正により外国人の邦字新聞発行を禁止するなど,言論統制にのりだした。同紙の経営は荒木政樹により続けられたが,75年12月5日,265号で廃刊。
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…居留地外国人が発行した日本語新聞は,このような状況に促されて出現したのである。これには,1864年(元治1)浜田彦蔵(アメリカ籍)が創刊した《海外新聞》をはじめとして,67年(慶応3)の《万国新聞紙》《倫敦新聞紙》,68年(明治1)の《各国新聞紙》《横浜新報もしほ草》,72年の《日新真事誌》などが知られている。いずれも英語に堪能な日本人協力者を得て発行されていた。…
…欧米においても支持政党を明確にした新聞や,政府自身が保有し宣伝活動を行う新聞のような例は多いが,日本の御用新聞は明治時代前半に集中してみられ,西欧のものとは歴史上の意味は大きく異なる。明治維新期の新聞の大部分は,《郵便報知新聞》の駅逓寮御用,《日新真事誌》の左院御用のように,政府の御用新聞であるといってよい。新聞は文明開化を推進する政府の,上意下達のコミュニケーション・システムの一翼を担うことを誇りとしていた。…
※「日新真事誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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