青龍寺(読み)せいりゅうじ

精選版 日本国語大辞典 「青龍寺」の意味・読み・例文・類語

せいりゅう‐じ【青龍寺】

  1. [ 一 ] 比叡山延暦寺の西塔の黒谷にある天台宗の寺。良源の創建で法然・真盛が修行した。黒谷青龍寺黒谷別所
  2. [ 二 ] 中国、唐代の首都長安(陝西省西安)にあった寺。五八二年に隋の文帝が創建。はじめは霊感寺と称したが、七一一年に青龍寺と改称された。八〇五年、空海はこの寺で灌頂(かんじょう)をうけ、密教の秘法を授けられた。以後、円行、円載、円仁、恵運、円珍、真如法親王、宗叡もこの寺に遊学。明代に廃絶。

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日本歴史地名大系 「青龍寺」の解説

青龍寺
しようりゆうじ

[現在地名]土佐市宇佐町竜

りゆう集落から南西へ、かにヶ池を望む山沿い道を行き当たると庫裏、その右手の老樹が茂る石段を仁王門をくぐって登ると中腹に本堂大師堂がある。真言宗豊山派に属し、独鈷山伊舎那院と号する。如意山道場院光明法寺または摩尼山竜宝院赤木寺の別号もある。本尊は伝弘法大師作の不動明王。四国霊場八十八ヵ所の三六番札所で、御詠歌は「わずかなる泉に住める青竜は仏法守護のちかいとぞ聞く」。

草創について確かなことは不明だが、伝えでは弘法大師が開基。弘法大師は伝法の師恵果への報恩のため、恵果のいた唐長安の青龍寺を移して一寺を建てることを願い、唐土から独鈷を投げてこの霊地を得たといい、また一説では明州の津で投げた赤栴檀が竜の浜(別名赤浜)に流れ着いたともいう(編年紀事略)


青龍寺
せいりゆうじ

[現在地名]御殿場市増田

増田ましだの西端、六日市場むいかいちばとの境に位置する。護法山といい、臨済宗建長寺派。本尊はかつて釈迦三尊であったが(駿河記)、のちに阿弥陀如来となった。「駿河記」などによれば役小角の開基といい、当初は真言寺院で境内は一五町に及び、塔頭・末寺七五ヵ寺を数えたとされる。その後建武二年(一三三五)の竹之下合戦で焼失し、応安元年(一三六八)鎌倉建長寺の天初廓が禅院として再建、永正年間(一五〇四―二一)にも戦火に遭って焼失したが、天文元年(一五三二)我州が再興したと伝える。


青龍寺
せいりゆうじ

[現在地名]東山区八坂上町

寺門は北面して八坂やさか道に面し、本堂は西面する。山号は見性山。浄土宗。本尊阿弥陀如来。「京都府地誌」に「創建ノ年詳ナラス。開基大和前司親盛ト云」とみえ、「坊目誌」には寺伝として「寛永年中、知恩院住職引導寺の故地を検討し、本寺を建立して、不断念仏を創し、古像を得て之を本尊と為す」と記す。また「山州名跡志」(正徳元年刊)は「此本尊、往古ハ西山ニ安ス。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青龍寺」の意味・わかりやすい解説

青龍寺
せいりゅうじ

中国、陝西(せんせい)省西安市にある寺。隋(ずい)代、582年(開皇2)文帝の大興(だいこう)城造営に際し建立された霊感寺より始まる。唐代、621年(武徳4)いったん廃されたが、662年(竜朔2)城陽公主によって復興され観音寺(かんのんじ)と称し、さらに711年(景雲2)青龍寺と改称した。恵果阿闍梨(けいかあじゃり)が東塔院に住して密教を宣布するや、代宗、徳宗、順宗らの帰依(きえ)を受けるに至り、寺中は国内外の学僧であふれたという。弟子には義操(ぎそう)、法潤(ほうじゅん)らの中国僧、新羅(しらぎ)僧の慧日(えにち)、悟真(ごじん)、ジャワ僧の弁弘(べんこう)がいる。日本の空海はこの寺で両界曼荼羅(りょうかいまんだら)法、阿闍梨位灌頂(かんじょう)を得、遍照金剛(へんじょうこんごう)号を与えられて嗣法(しほう)し師恵果の誄(るい)(弔文)を記した。義操の門下には法全(ほうぜん)、義真(ぎしん)らが出て法化(ほうげ)を振るい、日本の円載(えんさい)、円仁(えんにん)らの天台系留学生は義真に、円珍(えんちん)、宗叡(しゅうえい)らは法全に密法を受けた。武宗の廃仏にあって荒廃し、852年(大中6)護国寺と改称して復興したと伝えるが、宋(そう)の1072年(煕寧5)成尋(じょうじん)が入宋(にっそう)し訪れた際には所在すら不明であった。以後、石仏寺改称説など、その遺跡については諸説あったが、中国考古学者により探索がなされ、1963年に石仏寺付近で遺址(いし)が確認された。その地に日中協力によって空海記念堂が建立され、1984年には東塔院が再建された。

[里道徳雄]

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世界の観光地名がわかる事典 「青龍寺」の解説

せいりゅうじ【青龍寺】

中国の陜西(せんせい)省の古都、西安(せいあん)(シーアン)市南郊の鉄炉廟村にある仏教寺院。弘法大師空海ゆかりの寺として知られている。隋の582年に創建され、当初は「霊感寺」と呼ばれた。唐中期には、恵果(けいか)らの密教僧が住寺するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁(えんにん)や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。◇1982年以来、西安人民政府が青龍寺の遺址と伝承されてきた「石仏寺」周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘して、この地が古(いにしえ)の青龍寺であったことを確認した。

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デジタル大辞泉プラス 「青龍寺」の解説

青龍寺

高知県土佐市にある寺院。真言宗豊山派。山号は独鈷山(とっこうざん)、院号は伊舎那(いしゃな)院。弘法大師の開基と伝わる。本尊は波切不動明王。四国八十八ヶ所霊場第36番札所。

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事典・日本の観光資源 「青龍寺」の解説

青龍寺(第36番)

(高知県土佐市)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

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