青竜寺(読み)セイリュウジ

デジタル大辞泉 「青竜寺」の意味・読み・例文・類語

せいりゅう‐じ【青竜寺】

比叡山延暦寺西塔黒谷にある天台宗の寺。
中国代の首都長安(陝西省西安)にあった寺。582年、文帝霊感寺として創建、711年に青竜寺と改称。入唐した空海恵果から密教を伝授された寺。

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日本歴史地名大系 「青竜寺」の解説

青竜寺
せいりゆうじ

もと正院しよういん郷に所在した寺院で、跡地は現須受すず八幡宮付近が推定地。勅定山と号する。輪島市八幡やはた寺蔵の応安六年(一三七三)四月二八日明栄書写の大般若経奥書巻四一二(八幡寺蔵)に「能登国正院郷青竜寺談義所」とある。これより先四坪薬師寺大般若波羅蜜多経(忍久保家蔵)のうち貞治二―三年(一三六三―六四)の書写分にみえる「正院談義所」「正院郷吉田談義所」は当寺付属の談義所であったものと思われる。談義所惣中の中心人物は淳智坊栄賢で、書写には住侶玄導や尾張国春日かすが郡住人の円海が加わっている。


青竜寺
しようりゆうじ

[現在地名]岩室村石瀬

多宝たほう山の東山裾にあり、南を西からはらい川が流れ下る。多宝山と号し真言宗豊山派本尊薬師如来。寺伝では天平八年(七三六)行基により開かれたという。初めは天台宗であったらしい。

石瀬いしぜ霊場の中心で、かつては南の権現ごんげん山麓別当屋敷べつとうやしきとよばれる地にあり、青竜権現別当をつとめていたという。文永五年(一二六八)岩船郡小泉こいずみ庄の色部行忍が、自作の三尺の阿弥陀仏一体と阿弥陀経四八巻を納めた三重の塔婆を建てたのは当寺付近かとも推定される(同年一一月色部行忍(公長)願文写「古案記録草案」所収文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「青竜寺」の意味・わかりやすい解説

青竜寺 (せいりゅうじ)
Qīng lóng sì

中国,唐の都長安の東部,新昌坊にあった仏寺。現在,西安市街の東南約5kmの炉廟村にその遺跡があり,1973年に仏塔仏殿の跡が発掘された。隋代の創建で初めは霊感寺といったが,唐の景雲2年(711)に青竜寺と改名。空海(弘法大師)は804年(貞元20)中国に留学し,この寺で恵果(けいか)阿闍梨から密教を授けられ,その後,円仁(慈覚大師),円珍智証大師)らもここに滞在したことがあって,日中文化交流史上とくに記念すべき寺である。
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世界大百科事典(旧版)内の青竜寺の言及

【土佐[市]】より

…高岡の北,清滝山中腹に四国八十八ヵ所第35番札所の清滝寺があり,高岡の西方には,戦国期土佐七守護の一人に数えられた大平氏の拠った蓮池城跡がある。横浪半島先端部にある青竜(しようりゆう)寺は八十八ヵ所第36番札所である。市域中央を東西に国道56号線が通じ,浦ノ内湾口に架かる宇佐大橋は横浪半島を縦断する横浪黒潮ラインの東の入口である。…

【恵果】より

…姓は馬。長安の青竜寺に住して,唐代密教を集大成し,代宗,徳宗,順宗3朝の帰依をうけて国師となる。伝記,思想ともに早く資料を逸するが,空海が入唐中に記す《大唐青竜寺故三朝国師碑》によって,青竜寺跡も最近ようやく発掘調査がすすんでいる。…

※「青竜寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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