情緒説(読み)じょうちょせつ

  • Affektenlehreドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

音楽の目的を情緒(情念)の喚起に求める説。音楽史上のバロック時代(17~18世紀前半)に広く唱えられ、とくにドイツにおいて理論的に展開された。情緒説は音楽を広義の感情表現とみなす考えの歴史的一形態であるが、「情緒」Affekt, Passion(ドイツ語)とは、「喜び」「悲しみ」など類型として固定化された感情をさす。この概念を精気の運動の種々相として考察したデカルトの理論(『情念論』1649)は音楽理論家たちによって音楽に応用され、A・キルヒャーAthanasius Kircher(1601―80)の『ムスルジア・ウニベルサリス』Musurgia universalis(1650)やJ・マッテゾンの『完全な楽長』Der vollkommene Capellmeister(1739)などにおいて、音楽の情緒説として結晶した。この理論の概要は、ほぼ次のように要約することができる。
 音楽は、神の賛美と並んで、情緒の喚起を目的とする。聴き手の心を慰め、徳へと導くためである。一つの楽曲ないし楽章は、つねに一つの情緒(声楽曲においては歌詞のなかから発見される情緒)を集中的に描くものでなくてはならない(アリアや舞曲などを連ね対比するバロック音楽特有の並列的構成、また個々の曲における一元的主題法は、この考え方と相関する)。様式、曲種、リズム、拍子、和声、旋律、楽器、音域、テンポなどはそれぞれおのずとふさわしい情緒対象をもつから、情緒を描くためには、これらの適切な選択が必要である。修辞学に由来する種々の音型(音楽的修辞フィグーラ)も、描出のための有力な手段となる。音楽の運動がなんらかの情緒を再現するべく構成されると、それは聴覚を通じて人間に伝えられたとき、体内に、同一の数比をもつ精気の運動を引き起こす。こうして聴き手の心に、目ざされた情緒が喚起される。
 情緒説は、古代以来のエートス説、および音楽と修辞学のかかわりの歴史を背景とするが、それがバロック時代に興隆をみたのは、当時の音楽が静態的なルネサンス風ポリフォニーの構築に飽き足らず、人間感情を多様かつ明確に表現することを志向したからである。情緒説は、バロック音楽のこうした傾向を合理的に裏づける理論として、またそのための方法論として発展し、表現の関心が情緒から「主情」Empfindung(ドイツ語)に移った前古典派の時代に至って、ひとまず歴史的生命を終えた。20世紀においては、バロック音楽の復興に伴い情緒説がふたたび脚光を浴びているが、なかでも音楽学者H・クレッチマーは器楽曲の表現内容を情緒としてとらえ、それを言語化する解釈学を提唱して、情緒説に新たな段階を開いた。[礒山 雅]
『Rolf Dammann Der Musikbegriff im deutschen Barock (1967, Kln)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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