平安中期の明法家(律令学者)。生年不詳,1008,09年(寛弘5,6)ころ没。姓は惟宗朝臣。明法博士直本(なおもと)の曾孫,同公方(きんかた)の孫。家学の明法道を学び,明法得業生から出身して,勘解由次官,検非違使左衛門佐,明法博士,大判事などを歴任し,999年(長保1)に曾祖父直本の先蹤を襲って私第において令を講じた。このころ弟と推定される允政(允正)(ただまさ)とともに姓を令宗(よしむね)朝臣と改められた。〈令宗〉は〈律令の宗師〉の意である。後世,大江匡房は《続本朝往生伝》において允亮,允正を明法道を代表する〈天下の一物〉とたたえ,鎌倉時代の公卿葉室定嗣も〈允亮は中古の名儒,法意の達者なり〉と称賛している。著書に《政事要略》130巻(一部現存),《類聚判集》100巻(現存せず),《類聚律令刑官問答私記》1巻(現存せず)があり,日記を《宗河記》という。
執筆者:早川 庄八
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。平安中期の官人で明法家(みょうぼうか)。「すけあき」とも読まれ、公方(きんかた)の孫。直本(なおもと)の曽孫(そうそん)。984年(永観2)ころ明法博士(はかせ)となり、以後、勘解由使次官(かげゆしのすけ)、左衛門権佐(さえもんのごんのすけ)、検非違使佐(けびいしのすけ)などを歴任。998年(長徳4)令宗(よしむね)姓を賜り、1006年(寛弘3)従(じゅ)四位下に進んだ。この間、宇佐神人(うさじにん)との争いをめぐる大宰大弐(だざいのだいに)藤原佐理(すけまさ)の停任や、藤原伊周(これちか)・隆家兄弟の謀反糾弾に活躍した。その識見は当代第一の大学者とたたえられている。著書『政事要略』(『国史大系』所収)、『類聚(るいじゅう)判集』『類聚律令(りつりょう)刑官問答私記』や日記『宗阿記』などは当時の法律家に重用された。
[谷口 昭]
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
※「惟宗允亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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