慧日(読み)エニチ

デジタル大辞泉 「慧日」の意味・読み・例文・類語

え‐にち〔ヱ‐〕【×慧日】

仏語。仏の智慧煩悩罪障を除くことを、太陽にたとえていう語。

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精選版 日本国語大辞典 「慧日」の意味・読み・例文・類語

え‐にちヱ‥【慧日・恵日】

  1. 〘 名詞 〙 仏語。悟りの智慧(ちえ)が一切の煩悩や罪障を除く働きを、太陽にたとえたもの。
    1. [初出の実例]「天神地神之不同。共向恵日」(出典本朝文粋(1060頃)一三・村上天皇供養雲林院塔願文〈大江維時〉)
    2. [その他の文献]〔観普賢経〕

えにちヱニチ【慧日】

  1. 中国、元代の曹洞宗宏智派の僧。浙江省定海県出身。天童霊隠寺などを遊歴する。延慶二年(一三〇九)、北条貞時の招きに応じて来日し、円覚寺建長寺などに住した。(一二七二‐一三四〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慧日」の意味・わかりやすい解説

慧日
えにち
(680―748)

中国、唐(とう)代の僧。浄土教慈愍(じみん)流の祖。慈愍三蔵(賜号)と尊称される。山東省の人。俗姓は辛(しん)氏。若いとき義浄(ぎじょう)帰唐後の活躍にあこがれ、23歳のとき海路インドに向かう。前後18年を費やし、70余国を遍歴するが、陸路の帰唐に困難を極めた。ときにインド僧から浄土教を教えられ、719年長安に帰った。帰唐後、念仏、禅、戒律などすべての修行を修めて往生(おうじょう)を願うという浄土教(禅浄戒合行(ぜんじょうかいごうぎょう)思想)を主張し、実践した。慈愍流は宋(そう)代以降、浄土教の主流となった。著述に『浄土慈悲集』『般舟三昧讃(はんじゅざんまいさん)』『西方讃(さいほうさん)』『厭此娑婆浄土讃(おんししゃばじょうどさん)』がある。

柴田 泰 2017年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慧日」の意味・わかりやすい解説

慧日
えにち
Hui-ri

[生]永隆1(680)
[没]天宝7(748)
中国,唐の浄土教の僧。長安2 (702) 年海路でインドに渡り開元7 (719) 年帰国。玄宗より慈愍三蔵の号を賜わる。浄土の教えを広め,その法流を慈愍流という。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慧日」の解説

慧日 えにち

東明慧日(とうみょう-えにち)

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