1649年(慶安2)2月26日,江戸幕府が公布した〈諸国郷村江被仰出〉という触書を通常〈慶安御触書〉〈慶安の御触書〉といっている。全32ヵ条からなり,幕府の農村法令では最も詳細なもので,農民の日常生活,農業経営,農民の心得などをこまかに規制している。まず第1条では幕法の順守,領主への服従,村役人を親と思えなど,封建制下の身分・階層性を強調している。農業経営の場合,たとえば第10条で肥料についていっているが,この触書の最大の特徴は農民生活への規制である。酒や茶の購入禁止(第6条),雑穀を主食とする(第11条),さらに大茶を飲み夫のことをおろそかにする女房を離別するなどと干渉し(第14条),最後に年貢さえ済ませば百姓ほど心やすいものはないと,人間性を無視した封建領主としての幕府の意図が露骨に表れている。なお,この触書に類似した事例に1619年(元和5)12月の〈直江兼続四季農戒書〉がある。
執筆者:神崎 彰利
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1649年(慶安2)2月、幕府が全国の農民あてに公表した触書。正しくは「諸国郷村江被仰出(おおせいださる)」という表記の、全32条からなる令書である。幕府は、おりからの凶作もあって1641年(寛永18)ごろから農政に取り組んできたが、それらの農政法令の集大成でもあった。重点は、農民たちの支配への服従や、生活の仕方、農業生産のあり方についての心構えをさとしたことにあって、教諭書としての性格が強い。「地頭は替(かわ)る者、百姓はその名田(みょうでん)を便りとする者」という文言や、「年貢さへすまし候(そうら)へは、百姓程心易きものはこれなく」などという文言によって知られている。この触書は、こののち、江戸時代を通じて、幕藩領主の農政の原則を示すものとして重要視された。
[佐々木潤之介]
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…かつて戦国時代には,相伝の私領たる関係を部分的にも残していたものが,すべて将軍または大名の給与地になったことである。そして大名のなかにも所領は預りものとする意識が生まれ,慶安御触書のなかに〈地頭ハ替もの,百姓ハ末代其所之名田を便とするもの〉との表現をみるにいたる。領主層の知行は,将軍代替りごとに渡される知行状によって,はじめて安泰が確かめられることになった。…
※「慶安御触書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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