士農工商(読み)シノウコウショウ

デジタル大辞泉 「士農工商」の意味・読み・例文・類語

し‐のう‐こう‐しょう〔‐シヤウ〕【士農工商】

近世の身分制で、武士・農民・職人・商人。士を最上位とし、商を最下位とする。儒教的階級観念によって順位づけた言い方。基本的には支配階級である士と被支配階級である農・工・商を区別することで、農・工・商の間では上下関係はない。四民。

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精選版 日本国語大辞典 「士農工商」の意味・読み・例文・類語

し‐のう‐こう‐しょう‥シャウ【士農工商】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 武士と農民と職人と商人。四民。また、一般の人々。庶民。
    1. [初出の実例]「士農工商の家にも生まれず」(出典:光悦本謡曲・善知鳥(1465頃))
  3. 他人とおりあわず、あれこれ不平をいうこと。
    1. [初出の実例]「妥協性を欠いて、いろいろ文句をいふことを、士農工商を並べるなどいふ」(出典:大増補改訂や、此は便利だ(1936)〈下中彌三郎〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「士農工商」の意味・わかりやすい解説

士農工商 (しのうこうしょう)

江戸時代の社会を構成した主要な身分である武士,百姓,職人,商人を指す言葉。四民ともいう。元来は中国の古典に起源する言葉であるが,近世の国制を中国古代の封建制になぞらえて理解しようとした儒学者などによって使用されたのをきっかけに,江戸時代の国家,社会に関する支配イデオロギー上の重要なキーワードとして広く一般に使用されるようになった。中国の古典では,士農工商の四民は国の石民,すなわち国の本で柱の礎石のごとくであり(《管子》),また学をもって位に就いている者を士といい,土地を耕して穀物を作るのを農といい,技巧をふるって器物を作るのを工といい,財貨を流通させる者を商という(《漢書》)とされている。日本では《神皇正統記》が《漢書》と同じ意味で四民という言葉を使っているが,士を官に仕えるものとするなど,兵農分離以前のこの段階では中国の概念の直訳にとどまっている。17世紀初頭に刊行された《日葡辞書》は,四民を〈ヨツツノタミ。すなわちサブライ・ノウニン・タクミ・アキュウド〉としており,約2世紀の間に士が武士という意味に変化したことが知られる。これは,実質的に兵農分離が進行して武士と農民との社会的身分の分離が進行したことと,制度的にも幕藩制の知行体系に連なる者だけが武士身分として固定されたことの反映と考えられる。

 こうして成立した江戸時代の四民観の特質は,それが人はその職能によって国家社会の役にたつべきだという思想に立脚している点にあり,このことは《都鄙問答》が〈四民ヲ治メ給ウハ君ノ職分ナリ,君ヲ相(たす)クルハ四民ノ職分ナリ〉と述べ,また18世紀後半の《人見弥右衛門上書》が〈四民の外なる出家・山伏・神道者・遊女・歌舞伎俳諧師・座頭・平家語り・幸若の類,すべて四民の衣食住を掠めて世間無用の業を以て今日を渡る者,いわゆる遊民・食いつぶし〉としている点によく表れている。この傾向は,村や同業者の仲間や組に所属する農工商から,それぞれの集団を通じて国役(くにやく)を徴収し,その徴収体系からはずれた者を〈いたずら者〉として取り締まった幕府の政策の思想上の表現であった。百姓は年貢と百姓役を,職人は職人役を,土地持ちの商人は伝馬役などを納めてはじめてそれぞれの家業を続けることを保障されたのである。なお,安寧を維持しているという点で役にたつものとみなされていた武士には,軍役を果たす義務があった。近世には以上のような職能と役の体系による身分編成のほかに,工商を合わせて町人といったように,地縁的な支配の体系による身分の呼称も存在した。これは,中世における町衆会合衆(えごうしゆう)などによる一種の町の自治の発達を背景としながらも,その組織が町触の下達など住民に対する一般的行政機構に転化したこと,17世紀後半以降大規模な戦陣や城普請がなくなったため職人の国役が貨幣納となり,その集団が職人の動員組織としての機能を停止したことによると考えられる。農村に居住した職人も多くは田畠を名請けして年貢を納める存在であり,職人役の金納化にともない,百姓として代官一村の支配を受けることになった。最後に,士農工商の順は貴賤の順とされるが,農工商の順位は実態としては存在せず,貧富の差など個々の人々の状況しだいによったことはいうまでもない。
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百科事典マイペディア 「士農工商」の意味・わかりやすい解説

士農工商【しのうこうしょう】

江戸時代の社会を構成した主要な身分である武士百姓職人商人を指すことば。四民(しみん)ともいう。国制を中国古代封建制度に則して理解しようとした儒者などによって用いられたのをきっかけとして,支配イデオロギーの重要なキーワードとなった。支配階級としての武士の地位を合理化しその経済的基盤であった農民は次位に置かれ,生産にかかわらない商人は最下位に位置づけられていた。
→関連項目江戸幕府慶安御触書四民平等日本幕藩体制身分

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「士農工商」の意味・わかりやすい解説

士農工商
しのうこうしょう

江戸時代の基本的な身分制度。もともとは中国古代に人民を4種に分けた名称であったが,日本では豊臣秀吉兵農分離を進めていくうえで次第に成立し,江戸幕府によって確立された。朱子学の思想に基づいて武士を最高位におき,これにあらゆる特権を付与するとともに,武士の経済的要求を満たす貢納の負担者である農民を次にもってきて,その下は職人,そして生産にたずさわらないことで商人が最下位におかれた。工商は町人とも呼ばれ,さらにその下に「穢多 (えた) ,非人」が存在した。明治維新後これらの身分制度は解消したが,新たに華族士族平民の身分が設定され,1914年の身分登記制廃止後も,階層意識は第2次世界大戦後の 47年の民法大改正まで存続した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「士農工商」の解説

士農工商
しのうこうしょう

江戸時代の基本的身分で,武士・農民・職人・商人のこと
四民ともいう。武士は支配階級として苗字・帯刀などの特権をもち,被支配階級のうち農民は年貢納入により武士の生活を支える生産者として上位に,職人はさまざまな手工業品の生産のゆえに次位に,商人は非生産的で利を求めるので下位とされた。農工商の序列は武士の職業観を示す言いならわしで法的な差別はない。むしろ封建社会の基本的な支配関係は武士・農民間にあるので,両者には政治的統制が強く及ぶのに対し,工商は派生的で制約が少なく一括して町人と呼ばれた。豊臣秀吉が推進した兵農分離政策が江戸幕府で完成され,職業世襲による身分制が固定化された。しかし商品経済の進展の中で大名をしのぐ経済力をもつ商人が現れ,また江戸後期になると,武士が困窮して町人と養子縁組する者が現れるなど,動揺がみられた。なお四民の下には賤民として穢多 (えた) ・非人と呼ばれた人びとが置かれた。

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四字熟語を知る辞典 「士農工商」の解説

士農工商

近世の身分制で、武士と農民と職人と商人。

[使用例] 於継の論法ではないが、医家は士農工商のいずれにも属さないし、学問を土台とした人助けの職業としていやしむべき筋合はない[有吉佐和子*華岡青洲の妻|1966]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「士農工商」の解説

士農工商
(通称)
しのうこうしょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
四民歌土佐画彩
初演
嘉永2.4(江戸・市村座)

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世界大百科事典(旧版)内の士農工商の言及

【百姓】より

…それは農村諸階層の多様な変動をともなう複雑な過程であったが,荘家の一揆(しようけのいつき)から土一揆(つちいつき)へと農民闘争が展開し,荘園村落における的結合が進むにつれて,農民相互を結びつけて領主階級に対抗する〈御百姓〉の意識が強化されていった。地下請【戸田 芳実】
【近世】

[百姓の概念]
 中世から近世への転換期には兵農分離(検地刀狩)が強行され,都市と農村の分離,城下町建設(武士団の城下への集住,武士の生活と軍備をささえる職人,商人の城下への集中)が推進されて,士農工商の4身分が確定された。この4身分中の農と百姓とは同義ではない。…

※「士農工商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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