戦後補償
せんごほしょう
戦争時に生じた被害に対して国際法上の賠償請求権とは別に補償を行うこと。日本の場合、第二次世界大戦時、アジア諸国への侵略に際して与えた各種の損害に対して、戦後、政府間の賠償問題は対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)や二国間条約で解決済みとしてきた。しかし、国交のない北朝鮮に対する補償のほか、従軍慰安婦や強制収用など、アジアや元連合国の戦争被害者個人に対する戦後補償問題は積み残されたままになっている。アメリカでは戦時中の日系人強制収容について謝罪・補償が行われたほか、ドイツでは国内外のナチス被害者に年金などの個人補償を行っている。
北朝鮮に関しては、1990年(平成2)9月に金丸信(かねまるしん)(1914―1996)、田辺誠(たなべまこと)(1922―2015)を団長とする自由民主党・日本社会党両党の代表団が同国を訪問し、朝鮮労働党との間で日朝両国の早期国交樹立と政府間交渉の開始を内容とする共同声明に署名した。同声明のなかで、36年間の日本による植民地支配に加えて「戦後45年間に朝鮮人民が受けた損失」に対しても「十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである」ことが盛り込まれ、いわゆる「戦後補償」の実施を表明した。
一方、1990年代に入って北朝鮮、韓国(大韓民国)、フィリピンなどの外国人戦争被害者が日本政府などを相手取り、謝罪・補償を求める訴訟を急増させてきた。しかし、裁判所は戦争犠牲者の救済は立法政策の問題として訴訟を退けてきた。また、従軍慰安婦に対する償い事業として「女性のためのアジア平和国民基金」(略称、アジア女性基金)が設立されたものの民間基金によるもので、あくまでも政府は個人に対する戦後補償について国の法的責任を回避する姿勢を保持しているのが実状である。
[青木一能]
『戦後補償問題連絡委員会編『朝鮮植民地支配と戦後補償』(1992・岩波ブックレット)』▽『日本弁護士連合会編『日本の戦後補償』(1994・明石書店)』▽『松尾章一著『中国人戦争被害者と戦後補償』(1998・岩波ブックレット)』▽『内田雅敏著『「戦後補償」を考える』(講談社現代新書)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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戦後補償【せんごほしょう】
日本政府による台湾,朝鮮への植民地支配や第2次世界大戦中の日本軍による強制的な徴用,徴兵などにより,アジアの民族や個人が受けた被害の補償のこと。日本政府はサンフランシスコ講和条約やその他の平和条約・国交回復時に国家間の賠償問題として決着し終了しているとの立場をとっている。しかし,元捕虜や軍人・軍属,従軍慰安婦のほか,南京大虐殺事件の関係者らによる証言や民事訴訟が相次いで提起されており,戦後50周年を機に,あらためて被害者個人への国家補償の問題や日本政府の戦争責任が問われた。村山富市内閣のもとで,そうした被害者への補償が検討されたが,国家補償に関しては連立政権内部に異論があり見送られた。従軍慰安婦問題に関しては,1995年に民間基金団体に補償を肩代わりさせる方法をとったが,元従軍慰安婦の多数や関係団体はあくまで国家補償を求めて受け取りを拒否した。同じように戦争の当事者となった旧西ドイツでは,1956年に成立した連邦補償法のもとで,2030年までに個々の被害者に対して合計200億マルク(7兆7000億円)の国家補償を行うことにしており,日本との違いが際立っている。韓国では,政府外交通商部が2010年3月,従軍慰安婦問題について,1965年の日韓基本条約で放棄した個人の対日請求権の範囲外の問題であるとして〈日本政府の法的責任を追及し,誠意ある措置を取るよう促している〉と発表,日本政府はこれに反論して,日韓基本条約で両国における請求権は,〈完全かつ最終的に解決している〉との見解を発表した。しかし2011年8月,韓国の憲法裁判所は,韓国政府が元従軍慰安婦の賠償請求権について具体的な解決のための努力をしていないことを〈違憲〉とする判決を出した。さらに,2012年8月,李明博大統領が突如竹島(独島)に上陸し,その理由の一つとして,従軍慰安婦問題に関する日本政府の対応に強く抗議する意味も含んでいると明らかにした。朴槿恵政権もこの立場を継承し,従軍慰安婦問題に関連して,戦時の女性の人権侵害とその戦後補償という普遍的な人道的問題と領土問題を直結させ,日本の歴史認識問題として国際的にアピールするという姿勢である。尖閣諸島をめぐって強硬姿勢を取る中国政府は,ただちにこれに同調している。元従軍慰安婦が日本政府に補償を求めた訴訟は2004年最高裁で原告の敗訴が確定している。→強制連行
→関連項目日本
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戦後補償
せんごほしょう
第2次世界大戦の被害者,特に日本の行為によって被害を受けたアジアの諸国民や連合国捕虜に対する補償。これは法的な概念ではないが,国家間の賠償と区別して被害者個人に対する各種補償を総称する用語として使われる。サンフランシスコ講和条約 (1951) により日本の戦後処理が行なわれた際,被害者個人について考慮されなかったため,その補償が問題になっている。具体的には旧日本軍の軍人・軍属であった朝鮮半島・台湾出身者,朝鮮半島および中国大陸からの移入労務者,日本軍の占領地で労務者・兵補として動員された住民,中国大陸などで日本軍の行動の犠牲になった民間人,サハリンに取り残された韓国人,ホンコンにおける軍票発行で財産的損害を受けた人,戦時国際法に違反する不当な取り扱いを受けた連合国捕虜,従軍慰安婦などに対する補償である。また個人の請求権についても,日本政府は,サンフランシスコ講和条約や日韓請求権・経済協力協定 (1965) などの条約に放棄や最終解決が規定されているため法的には解決済みであるとの立場をとってきた。しかし 1990年韓国人女性に対する従軍慰安婦問題がもち上がり,他のアジア諸国にも飛び火,旧日本軍の関与も明らかにされた。これに対し政府は国家としての賠償についてはあくまで拒否し,代わりに任意団体「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し,「見舞金」などの名目で一時金を贈ることに決めた。しかし,これでは責任を曖昧にし,国家としての謝罪にならないとしてむしろ反発を招く結果となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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