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村山富市 むらやまとみいち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村山富市
むらやまとみいち

[生]1924.3.3. 大分
政治家。 1944年明治大学専門部卒業と同時に日本社会党に入党。大分県職員労働組合書記を振出しに労働運動に取組む。大分市議,同県議を経て 72年衆議院選挙に出馬し初当選。一貫して社会労働委員会に籍を置く。国会対策委員長などを歴任し,93年9月第 13代の日本社会党委員長に就任。政治改革・政権交代を目指し,新生・公明・日本新・民社さきがけ・社民連各党と連立し,細川内閣誕生に一役かう。さらに羽田内閣発足直後,連立から離脱,羽田内閣総辞職のあとを受け,第 81代,52人目の首相に就任し,96年1月までつとめる。日本社会党首相の誕生は 47年の片山哲内閣以来 47年ぶり。 96年1月これまでの日本社会党の名称を社会民主党と変更,さらに総選挙を機に党首を辞任。その後,2000年には議員を辞職した。

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デジタル大辞泉の解説

むらやま‐とみいち【村山富市】

[1924~ ]政治家。大分の生まれ。昭和47年(1972)日本社会党から衆議院議員初当選。細川連立政権が成立した翌年の平成5年(1993)党委員長に選ばれる。翌年、新生党などと対立が生じ連立離脱。羽田内閣を退陣に追い込むと、宿敵だった自民党との連立政権の首相に就任。社会党の首相は片山哲以来二人目。自衛隊容認など社会党の基本政策を転換。同8年の辞任後、党名を社会民主党に変更した。→橋本龍太郎

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百科事典マイペディアの解説

村山富市【むらやまとみいち】

政治家。大分県生れ。明大卒。労働組合役員,大分市議会議員,県議会議員を経て,1972年日本社会党衆議院議員,1993年党委員長。1994年羽田孜(つとむ)内閣総辞職後,第81代内閣総理大臣となり,自由民主党新党さきがけとの連立内閣を組閣。
→関連項目行政改革河野談話戦後補償

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村山富市 むらやま-とみいち

1924- 昭和後期-平成時代の政治家。
大正13年3月3日生まれ。昭和21年社会党にはいり,大分県議をへて47年衆議院議員(当選8回)。右派に属し,社会労働畑をあゆむ。平成3年党の国対委員長,5年党委員長。6年自民党と連立をくみ,社会党2人目の首相となった。のち社民党の党首をへて特別代表。12年引退。大分県出身。明大卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村山富市
むらやまとみいち
(1924― )

政治家。大分県生まれ。明治大学を卒業。生家が漁師のため漁民運動に参加、のち労働組合書記を経て大分市議、同県議を努め、1972年(昭和47)日本社会党から衆議院に初当選を果たした。党内では右派に属し、1993年(平成5)山花貞夫(やまはなさだお)の後を受けて党委員長に選ばれた。1994年6月羽田孜(はたつとむ)内閣の辞職ののち、自民、社会、新党さきがけの連立により首相候補となり、海部俊樹(かいふとしき)候補を決戦投票で破り、第81代首相に就任した。社会党の首相は1947年の片山哲(かたやまてつ)以来のことであった。日本の植民地支配と侵略を謝罪した1995年発表のいわゆる村山談話は、政府の歴史的見解として、以後もたびたび引用されている。1996年1月辞任。同月社会党は社会民主党と改称、村山はその初代党首に就任した。2000年(平成12)政界を引退。[編集部]
『清原芳治著『村山富市――その軌跡と使命』(2006・大分合同新聞社)』

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