新井白石(あらいはくせき)の自叙伝。書名は後鳥羽(ごとば)天皇の御製(ぎょせい)「おもひ出(いづ)る折たく柴の夕煙(ゆふけむり)むせぶも嬉(うれ)し忘れがたみに」(『新古今和歌集』)からとっている。白石がその子孫に、祖先および自分自身の事績を知らせるとともに、主君の6代徳川将軍家宣(いえのぶ)、7代家継(いえつぐ)の善政をも認識させ、後世にもそれを正しく伝えさせようとの意図のもとに、幕府引退後まもない時期、1716年(享保1)に執筆したもの。現存自筆本(新井家)はその後も増補したものと思われる。3巻からなり、上巻には祖父、父母、白石自身の事績(家宣の将軍世継時代まで)を記し、中巻には自らが側用人(そばようにん)間部詮房(まなべあきふさ)とともに献身的に補佐した6代家宣の政治的業績を、下巻には幼君7代家継時代のそれを記述している。達意でわかりやすく、かつ力強い文章で書かれているため、その優れた内容と相まって明治以後とくに広く読まれ、『福翁(ふくおう)自伝』(福沢諭吉)と並んでわが国自伝文学の代表とみなされるに至っている。本書が明治10年代に刊本が出て広く読まれるようになった結果、白石は第一級の日本人として尊敬されることになるのである。『新井白石全集 第3巻』『日本古典文学大系95』『新井白石集』などに所収。
[宮崎道生]
『宮崎道生著『定本折たく柴の記釈義』(1964・至文堂)』▽『桑原武夫著『日本の名著1 新井白石』(1969・中央公論社)』
新井白石の自叙伝。3巻。1716年(享保1)幕政中枢から失脚した白石が,6代将軍徳川家宣のあつい信任と恩恵に浴しつつ幕政に尽力した自分の立場を明確に子孫に語り残すことを主目的につづったもの。上巻はまず祖父母にふれ,次に父の生涯を述べて母にも言及した後,自己の経歴を記して家宣将軍世嗣の時代に至る。中巻は家宣将軍時代に白石が諮問や進言を通じて関知した政務を叙述し,下巻は幼将軍家継のもとで側用人間部詮房(まなべあきふさ)とともに行政の改善に苦闘した実状を記し,将軍側近者の立場を弁明して終わる。全編すぐれた和文でつづられ,傑出した自叙伝文学であるとともに,彼が幕政に関与した記事を中心に近世史の史料としても貴重である。題名は《新古今和歌集》所載の後鳥羽上皇の歌〈思ひ出づる折たく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに〉に由来するといわれている。刊本には《新井白石全集》,岩波文庫等がある。
執筆者:辻 達也
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新井白石の自叙伝。3巻。1716年(享保元)起筆。祖父母・父母の経歴と自身の生い立ちから甲府藩主徳川綱豊(家宣)への出仕の時期までを記した上巻,6代将軍家宣・7代将軍家継の時期に白石がなした政治施策や幕府関連記事などを収める中巻・下巻からなる。子孫以外の他見を前提としない私的な見解・主張が記されて客観性には欠けるが,儒教の理想主義を実現しようとする白石の為政の態度がうかがわれ,政治・思想関係史料として重要。「岩波文庫」「日本古典文学大系」所収。
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… 実質的な施策は,家宣の治世が3年余であったので件数は乏しいが,12年勘定吟味役を復活したことは,財政・統治機構の整備強化の面で享保改革の前駆をなす。これと関連して,白石の強い糾弾でようやく家宣も認めた勘定方の独裁者荻原重秀の奉行免職は,従来重秀への評価が白石の《折たく柴の記》の記事に影響されてもっぱら重秀の善悪能否の問題に限られており,今後より客観的な評価を必要とするが,ともかくひとつの政策的転機であった。重秀は家宣の将軍就任直後,財政難解決のため通貨改鋳を提案し,白石の反対により拒否されたが,独断で悪鋳を繰り返した。…
※「折たく柴の記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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