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徳川家継 とくがわいえつぐ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳川家継
とくがわいえつぐ

[生]宝永6(1709).7.3. 江戸
[没]享保1(1716).4.30. 江戸
江戸幕府7代将軍 (在職 1713~16) 。家宣の3男。母は勝田氏。幼名は鍋松丸。院号は有章院。正徳3 (13) 年4月2日,3歳余で将軍宣下。家宣の遺言によって側用人間部詮房が補佐し,新井白石を重用した。その治世には長崎貿易の正徳新令 (→海舶互市新令 ) の発布,大奥年寄絵島事件があった。霊元天皇の皇女と婚約したが,7歳で死去。

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百科事典マイペディアの解説

徳川家継【とくがわいえつぐ】

江戸幕府7代将軍(在位1712年―1716年)。6代家宣(いえのぶ)の子。幼名鍋松丸。諡号(しごう)有章院。幼少のため幕政側用人間部詮房(まなべあきふさ)が新井白石の助言を得て運営。
→関連項目折たく柴の記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川家継 とくがわ-いえつぐ

1709-1716 江戸幕府7代将軍。在職1713-16。
宝永6年7月3日生まれ。徳川家宣(いえのぶ)の3男。母はお喜世の方(月光院)。正徳(しょうとく)3年5歳で将軍職につく。前代と同様,側用人(そばようにん)の間部詮房(まなべ-あきふさ)と新井白石が補佐し,家宣時代の政策が継続されたが,正徳6年4月30日8歳で病没した。幼名は世良田鍋松。法号は有章院。

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朝日日本歴史人物事典の解説

徳川家継

没年:享保1.4.30(1716.6.19)
生年:宝永6.7.3(1709.8.8)
江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣とその側室於喜世(のち左京,月光院)の子。幼名は世良田鍋松。兄の家千代,大五郎が早世したため嗣子となり,正徳2(1712)年10月14日父家宣死去ののち,わずか4歳で将軍家を相続した。同月25日従二位権大納言に叙任されて家継と称し,翌3年3月26日に元服。同年4月2日将軍に就任し,正二位内大臣,右近衛大将に叙任されたが,8歳で没した。幼少の将軍でもあったので,幕政の実権は前代からの側用人間部詮房が握っていた。聡明で,仁慈の心があり,振る舞いも閑雅だったという。

(深井雅海)

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世界大百科事典 第2版の解説

とくがわいえつぐ【徳川家継】

1709‐16(宝永6‐享保1)
江戸幕府7代将軍。6代将軍家宣の第3子。生母は勝田氏お喜世の方,月光院。1713年(正徳3)将軍宣下。治世は〈正徳の治〉の後半にあたり,側用人間部詮房(まなべあきふさ)が新井白石の助言をえて運営の中枢に立った。前代家宣の遺言の権威を頼りに,貨幣改鋳(正徳金銀の発行)や貿易の改正(正徳新令=海舶互市新例)など注目すべき施策もあったが,詮房,白石らへの反感がたかまり,また幕臣間の腐敗も進行して,幕政は停滞しがちであった。

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大辞林 第三版の解説

とくがわいえつぐ【徳川家継】

1709~1716) 江戸幕府第七代将軍(1713~1716)。家宣の四男。幼名鍋松丸。間部詮房まなべあきふさ・新井白石の補佐によって、父の政治を継承。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳川家継
とくがわいえつぐ
(1709―1716)

江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣(いえのぶ)の三男。母は家宣の側室輝子(てるこ)(月光院)。兄2人の夭死(ようし)により、家宣没後、1713年(正徳3)4歳で将軍職就任。在職わずか4年だったが、間部詮房(まなべあきふさ)、新井白石(あらいはくせき)の補佐により、父家宣の遺業である、金銀貨改良、長崎貿易改革(海舶互市新例(かいはくごししんれい))を完成したほか、評定所(ひょうじょうしょ)の公平な運営により多くの名判決を残した。室鳩巣(むろきゅうそう)の手紙によれば、聡明(そうめい)仁慈でふるまいも静かで上品だったという。1715年に正夫人として皇女八十宮(やそのみや)との婚約がなったが、翌年家継が没したため、降嫁は実現しなかった。法号有章院。[宮崎道生]
『北島正元編『徳川将軍列伝』(1974・秋田書店) ▽内藤耻叟編『徳川十五代史』(1892・博文館)』

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367日誕生日大事典の解説

徳川家継 (とくがわいえつぐ)

生年月日:1709年7月3日
江戸時代中期の江戸幕府第7代の将軍
1716年没

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世界大百科事典内の徳川家継の言及

【正徳の治】より

…江戸中期,1709年(宝永6)から15年(正徳5)まで7年にわたる6代将軍徳川家宣,7代家継の治世の通称。家宣は幕府内外からの期待をうけて将軍となり,生類憐みの令の廃止を手始めに前代の弊政の改廃につとめ,側用人間部詮房(まなべあきふさ),侍講新井白石がこれを補佐した。家宣は前将軍綱吉同様儒学を信奉し,新井白石の助言も加わって,その施策の基調に儒学の色調が濃く,また政治は将軍と側近に主導され,閣老の発言力が弱かったことも前代同様である。…

※「徳川家継」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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